月・水・金は仕事からすっ飛んで帰って、
母をリハビリに連れて行っている。
リハビリの間、時間があるので「買い物に行ってくる」というと
看護婦さんに片手をとられた母は、微笑みながら
「塩昆布を買ってきて」と言った。
母はそんなふうに買い物を頼んだりしない(家の中では)。
ましてや微笑みながらなんぞ!(ビックラこいた)
横にいた看護婦さんが見たら、仲のいい親子のようではないか![]()
外面はいいんだから![]()
母は飼い猫のフードが切れたり、コンスタントに必要な物を
きらしそうになったら、さりげなくテーブルの上に
その空き箱や空き袋を置いておく。
または欲しい物を書いた紙をさりげなく目につく場所に置く。
それは母の「買ってきて」のサイン。
人に面と向かって物を頼むのが嫌いな母が、
「塩昆布を買ってきて」と素直に言った時…
なんだろう?
私の心の中で、きれいな鈴の音が鳴った。
え?私、嬉しかったの?
そう…、そうなのね。
私はきっと、母に孝行したいと思っている。
そして、愛されたいと思っている。
母一人子一人で育ったから、親孝行をしないといけないというのは
私の強迫観念であるかもしれない。
ならばあの鈴の音は、私を縛る魔の道への
ドライバーのクラクションか、
はたまた私のインナーチャイルドの声なのか。
(インナーチャイルド=自分の中にいる、子どもの頃の傷をもつ自分)
どちらかは分からない。
ただ、幼い子どもの魂には無償の愛があると私は思っている。
虐待される子どもでさえ、「自分がいい子じゃなかったから」と
親をかばうという。
子どもは、いちばん身近な親に愛されようと努める。
たとえ親がどんな人間であっても。
それはとても美しいことではないだろうか。
人は愛する心を産まれながらに持っている。
あの鈴の音に、私はそのことを感じていた。