某・激安マーケットで支払いをしていると、

荷物を入れるサッカー台のところで、高校生くらいの

少女が怒っている声が聞こえた。


  「まだ買うものとかあったと!

  ぞうきんとか買わんないけんと!」


と、カートの部分を2、3回叩きながら怒っている。


相手は、70~80歳くらいかと思うくらいの後ろ姿の

おばあちゃんである。


想像するに、一緒に買い物に来たが途中ではぐれ、

少女が気がつくと、おばあちゃんはすでに支払いを済ませ

荷物をレジ袋にいれようとしていた…ところのようだ。


おばあちゃんは、「じゃ、ぞうきん買っておいで」と

返事したようだった。その少女は、


  「今からまたレジに並ぶのなんかいや!」


と、また大きな声で怒っていた。


今までレジにならんでたのは ばあちゃんなんだから、

アンタも並べばいいじゃん…と思った。

母がキライな流石の私も、あんなふうには怒らんなぁ。


周りの多少の驚きにもたじろがず、あの少女は怒っていた。


少女の父母も、あんなふうにおばあちゃんを怒るのだろうか。

いやあの少女も、あんなふうに母親に怒られているのだろうか。

もし同居なら、家庭のなかでのおばあちゃんの地位を低くすることで

自分の居場所を見つける事が出来ているのだろうか。

もしかしたら父母は仕事でいそがしく、その寂しさを

おばあちゃんにぶつけているのか…。


と、妄想族の私は、ひとり突っ走った。


家族または親子の中がよくない、という人は

多くはないが、決して少なくもない。

特に親子関係の不仲は、この国の高齢化社会の問題を

ますます困難なものにしていく気がする。


親孝行」はしなければならない正論ではあるが、

素直にできないこともある。

自分を育ててくれた親なのに、どこで気持ちがすれ違ったのだろう。

幼い頃は大好きな母だったのに、いつからキライになったのだろう。


そのもつれた糸をほどくことは、どちらがいいとか悪いという審判でなく、

自分の心を全て裸にして、自分自身の感情の根っこを知ること。

そして自分自身を、人本来の優しさと愛の方向へ向かわせること。


もしかしたらそれを気づかせるために、人の寿命は延びたのかも。

遺される人へ最期の置き土産をのこそうとして。