「母がキライ」という人は、思いがけずたくさんいます。
(もちろんお父さんがキライという人もいるでしょう)
でも親のことがキライということは、自分が親不孝だということを
公言しているようなもので、罪悪感を感じます。
そしてそう思ってしまう自分自身をキライになっていきます。
「キライ」にもレベルがあります。
「お母さん、ウザーイ」と言いながらも一緒に買い物に行けたり、
「はいはい、わかったよ」と言いながらもお母さんの言うことを聞いたり。
素直にそれが出来て、心にモヤモヤがなければいいのですが、
私は正直、「この人が生きている限り、私の人生は始まらない」と
思っていました。
それはある日、突然、ソーダ水の泡のようにボコッと心の中に
上がってきて、最初は自分でもワケ分かりませんでした。
でもキライになるには、キライになるだけの理由が必ずあったはず。
私が死ぬほど悩んでいたあの時、母は味方になってくれなかった。
だいいち、母は私を誉めたことがない。
私自身が母親になってから、
「私は娘にそんなことはしないし、言わない」という思い出も多々ありました。
そんなことをグルグルグルグル…長いこと考え続けていました。
そして交流分析をはじめとする心理学を学んで、
その裏に、私が育ってきた中で自分で作り上げた幼児決断や
人生脚本、禁止令やドライバーなど様々なものがあり、
それが私の心を頑なに縛っていることに気づくには年月がかかりました。
でもそのことで、私は自分の心がよく分かるようになりました。
それは生き方をラクにしてもくれます。
もし母親のことをキライな人がいても、罪悪感を感じることはありませんよ。
それはきっと、あなた自身を知るきっかけです。