給食が早く食べられない量も食べられない
体育は走ること以外できない
球技もダメ
25メートル泳げない
でもなぜか、算数、理科、音楽は出来ました
この姿を見て母がよく言っていたのは
「あなたはできない子なんだから、もっとやらなくちゃだめよ」
この言葉から
人と同じ数やってもできないから人の倍以上やるということが
悔しいと思うことからは出てくるようになりました。
小学3年生の時
別の学校からやってきた女性が担任の先生になりました
何とも相性が悪く
何をやっても認めてもらえない
廊下に立つ
頭をたたかれる
でもどうしても気に入られたくて。。。
その時友人が先生に手作りの箱をプレゼントしていたのを思い出し
当時の私は折り紙が得意だったので
折り紙で折ったものをプレゼントしたらその場で
「ありがとう」といいごみ箱へ捨てました
体が弱かった私は学校を休むことが時々あり
入院して退院した
休み明け
なぜかこの学年にいたころ
学校においてあった置き傘が折れたり
体操服、シューズがなくなったり
時々カビた給食のパンのようなものが机に入っていたり
行事ごとではひとりでみんなの前で歌わされ笑われたりしました。
ある日同じクラスの女の子のお母さんが見るに見かねて
私の母に話したのがきっかけで
私は先生を中心にクラスの子にいじめられていたんだと知りました。
傘が折れていたのは
雨の日に教室で野球ごっこする生徒にわたしの傘をバットにしていいと言ったり
カビた給食のパンは私が休みの時に
その子のものだから机にしまっておいてあげなさい
といったそう
やっぱりそんな雰囲気だから
クラスの子たちも私に近づくのを避けるようになりました
それから小中といじめられることが多く
「不細工」「きもちわるい」といわれるのは日常茶飯事
女の子の中で表面的に仲よくしてくれてはいましたが
やっぱり深くはなりきれないのを感じました
おとなしいけど問題児のまま
中学に上がり
当然のように先生に目をつけられました
中学一年の初めの頃
隣に座った男の子に机にノリを塗られて「汚いからやめて」といったことで
こいつはいじめっ子だ!!!と
学年中の先生+校長教頭に呼び出され
説教
怖くて意味わかんなくて
帰りの自転車置き場で一人泣き崩れたのを覚えています。
当時
大河内君いじめが原因の自殺事件が西尾であり
いじめってことに敏感でした
後から私が話をしたことがほんとだと理解した後担任が
ごめんね
好きなノート買ってあげるから
と言って私を文房具屋に連れて行きました
結局欲しくもないからその担任が選んだものをもらうことに
でも、当たり前だけど
なんもうれしくもない
このころから
学校嫌い
先生嫌い
仲間ってなんだ?
大人、上司信じない
というのが私に出来てきたのです。

人気ブログランキングへ