共産国も含めて、全地球規模でみれば、地球規模では、あきらかな自由経済社会であるわけです。共産国も、全地球規模では、全く自由にその経済的競争をし、自国の利益を追求しているわけです。そもそも、自由主義経済とは、畢竟バブルではないでしょうか。私は、若い頃、某企業の労働組合の執行委員を務め、会社側と賃金交渉の、いわゆる「団交」(団体交渉)の経験がありますが、その席上、賃金がどのような形で妥結するかの、いわゆる賃金の妥結ポイントの哲学的考察をしたことがあります。
つまり、そこでは、経営者側と労働者側との主張の妥結ポイントがどのように定まるかーというテーゼがあるわけです。これはある意味、一つの典型的な階級闘争であるわけですが、つまるところ、両者の主張の寄って立つ根拠の論理的正当性が、両者とも相手の言い分で納得しあえるということは、ほとんどありません。一つは、原則的な現状認識の個人差がありますし、一つは、将来的な予測や見込みという不確定要素での立場の相違による根本的な見方の違いというものもあります。つまり、論理的にその経営状況や将来の見込み、利益の状況について、両者が完全に同じ経済的指数のポイントで納得しあえるということはありえないのです。その中でも、毎年、なんとか妥結しながら給料やボーナスは決定されていきます。では、具体的に、両者が納得しあえるポイントがないにもかかわらず、実際に妥結していくそのポイントとは、どのようなものでしょうか?
結論から言いますと「両者を含んだ、両者の能力の総力をわずかに上回り、そのことの限界を両者がうすうす感じる形でのギリギリ感で、はじめて相手を受け入れられるポイント」ということになります。つまり、そこまで、ぎりぎり自分も相手も追い詰めないと妥協点が見出せないということです。つまり、そこまで相手を追い込んではじめて、相手もギリギリ感があるなーという印象をもってはじめて妥協し妥結出来るという部分があるわけです。このこと、この現象を、経済学的に一般理論化すれば、即ち、「自由主義経済での、その経済活動の報酬は、つねに、経営者と労働者の総力の源資を、わずかに上回る形で定まっていく」のであり、それは、根本的にバブルではないでしょうか?
この状況は、一つの国の、国家と国民の関係としての、国政や地方の市や町の経済についても同じことが言えます。その予算規模は、そのような意味で、常に両者の現実の能力をわずか上回る形で定まっていくのであり、つまり、そのギリギリ感こそが、共産主義的な計画経済のような決定ポイントを、国家主導で計画的に定めるある意味強制的な決定権の、自由主義、民主主義社会における、競争原理の中にある決定権の代替機能と言えます。そのギリギリ感がー つまり、両者を含めた能力のギリギリ感こそが、唯一両者が認め合える、自由主義社会での妥協点であるわけです。
ですから、ほとんどの国家が赤字財政に陥るのであり、ほとんどの企業が、現在の能力を上回る報酬を得ているのですから、どうしても拡大拡大を繰り返すしかなくなるわけです。そして、この拡大は、どのような高度な技術や製品、あるいは、高密度の製品をもってしても、単純な空間的拡大と無縁になることは出来ません。つまり、企業が拡大拡大をどこまでも繰り返すなら、地球規模での、その経済圏の単純な物理的な空間的拡大余力というものが必須条件となるはずです。
しかし、この両者、つまり、国家と企業のバブルの存在を可能ならしめるに、必須用件としての物理的な空間的拡大余力は、地球規模の環境汚染や資源枯渇などで、いずれ限界にきます。その破局点が、向う30年以内位に全地球規模で人類を襲うのではないでしょうか? そのもっとも危惧されるものは、
1. アメリカの双子の赤字(財政赤字と貿易赤字)が決定的に破綻すること。
2. 中国の経済が、現在の高度成長を維持できずに破綻すること。
であり、そして、もっとも懸念されることは、この両者が時を同じくして起こることです。もし、この両者同時破綻がくれば、それは、人類がいまだかって経験したことのないパニックが全人類を襲い、そして経済と体制に革命的な超ダイナミズムが到来すると思われます。
それは、具体的にどのような形に収まらねばならないものでしょうか?
私が考えるに、いわゆるギリギリ感で納得しあうしかないような自由主義経済でなく、また、従来型の全体主義的に近い特定の人間の恣意による計画経済でもなく、パソコン機能やインターネット機能などを最大限駆使した、だれでも正確に経済的指数を正確に認知出来る機能を人格良識的に共有出来る国家体制・経済体制による人格共産主義社会となるしかないのではないでしょうかー つまり、現状の万人の生産利益の実像を、人格的良識的に正確に分配するバブルなき新システムということになります。
おそらく、そうなるかならないかの自由はないと思われます。そこに行くしかなく、そこに行かなければ、人類はおそらく、人類社会の不調和音からくるストレスによって、生物学的に起こされる「全地球規模の暴動」によって、人類は滅亡するのではないでしょか?
その懸念される将来起こりうる全人類規模の暴動と、非常に良く似たものとしての兆候は、最近のフランスでの、車を炎上させる若者の暴動があげられます。おそらく、これと同質の暴動が全地球規模で拡大するのではないでしょうか?
安部総理の「美しい日本」
それも分からないわけではありませんが、一国の総理が、この時期、自分の政策スローガンとしてかかげる内容としては、首を90
度ひねるような違和感がありませんかー 逆に現状認識が30年遅れているというかー
たとえば、郵政の民営化、これは100%破綻するでしょう。つまり、人類も社会も、現状の矛盾を解決する為に、近未来において人格共産化せざるを得ないわけで、それは、完全に自由主義社会の競争原理に将来の郵政の経済的破綻を託した民営化は、将来の人格共産化と真っ向逆行するからです。それよりも、現行の郵政の国営の組織と体制の中で、どうしたら赤字を出さないようにするかという、永遠のテーマとでも言うぺきことを政策的に模索すべきであったはずです。それは、人格共産化社会のいち早い先取り的課題を実践するチャンスであったはずです。つまり、まさに、パソコンとインターネットを駆使し、郵政の経営状況の詳細の情報を、随時100%公開し、国の予算がその末端まで流れるルートをすべて開示することで、いわゆるバブルなき財政投入を、国家も国民もその実像を共有できるシステムによって、人格良識的に計画的に合意しながら運営していけば、赤字になるすべもないではありませんかー 同じ方法を、全地球規模で拡大汎用していけばいいではありませんかー