「富士(二二)は晴れたり日本晴れ」と言えば「日月神示」の最初の巻の冒頭から始まるあの有名なフレーズです。この場合は「ひつき」ではなく「ひふみ」神示と言った方がいいかもしれません。なぜなら八通りに読めるうちの一つの読み方(または最初の読み方)だからです。別の読み方だと意味も変わってくる可能性があります。
上つ巻 第一帖
二二は晴れたり、日本晴れ。神の国のまことの神の力をあらはす代となれる、仏もキリストも何も彼もはっきり助けて七六かしい御苦労のない代が来るから みたまを不断に磨いて一筋の誠を通して呉れよ。・・・・・。加実が世界の王になる、てんし様が神と分らん臣民ばかり、口と心と行と、三つ揃うたまことを命(みこと)といふぞ。神の臣民みな命(みこと)になる身魂、掃除身魂結構。六月の十日、ひつくのかみ。
日本人(この場合は日本語が読める人も含みます)なら誰でも読めますが、意味がよく分からないのではないでしょうか?冒頭から意味不明な文章に出会うため、上つ巻を最後まで読み終えたあとは読み続ける気が失せてしまう。そんな経験はありませんか?でも最初の巻でしかも最初のフレーズなので「ひふみ神示の顔」ともいうべき重要な意味を持つはずです。短い文章ですが重要な意味合いを含んでいると考えられます。それで私なりに考えたことを解説していきたいと思います。「私の考え」なのであくまでも参考程度にしておいてください。最終的にはご自分自身で考えてみてください。
まず「何故意味が分からないのか?」と考えた場合、私は「風が吹けば桶屋が儲かる」ということわざを思い出します。これも最初は意味が分かりませんでした。それは「風が吹けば」を「原因」とすれば「桶屋が儲かる」という「結果」までを繋げる「論理」あるいは「説明」が抜けているからです。
この意味の由来はこうです。大風が吹くと砂ぼこりが舞う→砂埃が目に入って失明する人が増える→失明した人は三味線弾きになる→三味線の売れ行きが伸びる→三味線の皮に使われる猫が減る→猫が減るのでネズミが増える→ネズミが増えるので桶をかじられる→桶を買う人が増えるので桶屋が儲かる。
今となっては三味線を弾く方はかなり少ないので、この論理は事実上破綻していると思われます。現状は目に砂埃が入ったら「眼科医に診てもらいに行く」でしょうか?だから今は桶屋が儲かることはまずないと思われます。しかしこれはこれでその当時は通じていたのだと思われます。
同じ理由で、「富士(二二)が晴れること」と「日本が晴れること」との関係または繋がりが説明されないまま、いきなりこのフレーズから始まるので理解できず戸惑ってしまうのです。
下つ巻には解釈の助けになる内容が記載されていますので、さっそくみてみましょう。
下つ巻 第三十一帖
この神に供へられたものは、何によらん私することならんぞ、まゐりた臣民にそれぞれ分けて喜ばして呉れよ、臣民喜べば神も喜ぶぞ、神喜べば天地光りて来るぞ、天地光れば富士(二二)晴れるぞ、富士は晴れたり日本晴れとはこの事ぞ。このやうな仕組でこの道ひろめて呉れよ、それが政治ぞ、経済ぞ、真通理(マツリ)ぞ、分りたか。八月の三日、ひつ九のか三。
この帖ではそれなりに説明がなされています。どうやら「神様にささげられたものを臣民に分け与えると、臣民が喜ぶ、それをみて神様も喜ぶ、そしてその結果天地が光り、富士が晴れる」ということらしいのです。説明が加わっている分、さきほどよりかはいくぶん分かりやすくなっていますが、それでもまだすっきりしません。
これだと「神様への供物を臣民に分け与えることで天地が光る」ということになります。神様が何回も忠告をしている「大峠」と一体どんな関係があるのでしょうか?それに「ひふみ神示」の冒頭でいうほどの最重要なフレーズでもないように思われます。きっと別の深い意味があるはずです。次回はもう少し深く掘り下げて考えてみたいと思います。