前回①の続きです。
まず「二二」と書いて「富士」と読ませています。
原文では「二二八八れ十二ほん八れ ㋹の九二のま九十の㋹のちからをあら八す四十七れる」 となっています。
では「二二」とは何を意味するのでしょうか?ヒントとなる文章が「五十黙示録 第6巻至恩の巻 第2帖」に書かれています。
至恩の巻 第二帖
フトマニとは大宇宙の法則であり秩序であるぞ、神示では012345678910と示し、その裏に109876543210があるぞ、
九十(マコト)の誠であるぞ、合せて二十二、富士(普字、不二)(フジ)であるぞ。神示の始めに示してあろう。二二(富士)は晴れたり日本晴れぞ。
つまり「二二」とは表「012345678910」と、裏「109876543210」の要素(あるいは数霊)の合計数のことであり、「大宇宙の法則・秩序」であり「マコト」のことです。「富士が晴れる」とは「大宇宙の法則・秩序」が三千世界の隅々まで行き渡るまたは実行される、「真理(ひふみ神示的にはミチという)」が開ける、「マコトまたはミコト」の姿になるという意味です。
では下つ巻 第三十一帖に書かれている「臣民が喜ぶ」とは一体どんな意味合いがあるのでしょうか?
上つ巻 第一帖(一)
二二は晴れたり、日本晴れ。神の国のまことの神の力をあらはす代となれる、・・・・・、口と心と行と、三つ揃うたまことを命(みこと)といふぞ。神の臣民みな命(みこと)になる身魂、掃除身魂結構。六月の十日、ひつくのかみ。
ここでは「臣民はみな命(みこと)になる身魂」と書かれていますので、神の臣民はみな「口・心・行」が実行できる素質や才能が最初から備わっているということになります。しかし、もともと素質や才能があっても、あえて努力して実行・実践してみなければ身につくはずもありません。「口・心・行」とはたくさんある「身魂磨き」の一つであり、それを実行・実践するということは(大峠の時に起きるとされる)お掃除・洗濯を受けることなのです。
神様にささげられたもの、それは単に食べ物、お金等の供物だけではなく、カルマの清算(神様からみて喜ばしいものでも臣民からみれば試練)も含まれると思われます。そしてそれが臣民に与えられた時、臣民がそれを避けたり、神様を非難するのではなく、「身魂が磨ける」ありがたいものと感謝し、喜び、謹んでお受けしてこそ、「命(みこと)」に成れる(または鳴れる)というものです。「なりなりてなって」(日月神示ででてきる有名なフレーズです)の「成る」と「鳴る」です。臣民がみな「命(みこと)」になることができれば、説明なしに「神様がお喜びになる」ことくらいは分かっていただけると思われます。このようにして、天地(「てんち」ではなく「あめつち」)に「マコト」と「ミコト」が満ち溢れれば、「富士(二二)が晴れる」というのは直観的に理解できるのではないでしょうか?
臣民が「口・心・行」を通して「身魂磨き」をすれば、神様はたいへんお喜びになられる、その結果、神様が入ることができる身魂がたくさんできあがり神人合一を行うことができる、神人合一後の新しい身魂からは神の光が放たれる、それが多くの場所で起これば天地は愛と喜びの光で満ちることになる、日本(世界、大宇宙、三千世界)は大神からの光にて晴れ渡る。・・・・・!?
ということなのかも知れません。この意味なら天つ巻 第7帖の意味もすんなり通じます。しかしこの場合の「身魂磨き」には何も「大峠の辛い試練」ばかリではなく、「神に纏ろう」こと、「神を拝む」こと、「柏手を打つ」こと等も、「身魂磨き」の範疇に入れてもいいのかもしれません。
では次回からは「富士(二二)は晴れたり」を更に詳しくみてみましょう。