昨日買った本の内容の要点をまとめてみようと思う。
今後の為に。
「怒り」という感情は自分をコントロールする力を奪い取り、論理的に考える力さえも奪い取ってしまう。
客観的にものを見る力と論理立てて考える力を失って、自分自身をコントロールする知性さえも奪い去ってしまう。
そのため、破壊的な状況を招く。
「怒る行動」が「癖」「習慣」となっている間は、我々にそれをコントロールする力はない。
「怒りの習慣」の発見とその改善が、自らの「怒りの習慣」から解き放たれ自由になるためには必要である。
◆「怒り」とは警告である
「怒り」を感じると人を攻撃するというのは「悪しき習慣」である。
「怒る人」の中にはすでに「攻撃する習慣」がある。
その人の中に隠れた「怒り」の感情があって、それが表に出て攻撃行動になるというものではない。怒る人の中にはすでに「攻撃する習慣」があるということだ。
「怒り」を感じる事は、その攻撃の前段階であり、人が攻撃準備をしているということを知らせる働きがある。
怒らない人は自分の攻撃的な反応を「怒り」という感情を感じる事で直ちに知ることが出来、その感情を自分自身の次の行動をやめされる事に用いる。
「怒り」の感情を次に自分がとるであろう行動にたいするシグナル(警告)としてとらえ、良い行動を選択するために用いるのである。
怒る人もまた「怒り」を感じるが、彼はその「怒り」を相手にぶつけるという行動に用いる。
自分の「怒りの感情」を相手が引き起こしたものだという視点で捉えると、「攻撃するか、あるいはしないか」という選択肢しか生まれない。
「怒り」について他の見方、つまり「怒りを感じるとは、実は攻撃の前段階である」という視点に立つと、自分の怒りの行動を自分自身でコントロール出来る可能性がある。
選択可能な視点に立って考えてみると、もし他の人に対して「攻撃する」という習慣を変えることが出来れば、怒りの感情は落ち着くと考えられる。
攻撃とは、他の人や自分を強制しようとすることであり、「怒りの感覚」とは、他の誰かに自分の何らかの期待に応じるように強制する準備が始まったことを知らせるためのシグナル(警告)なのである。
攻撃とは、自分や他の人をコントロールするために、相手に嫌な思いをさせる全ての行動をさす。
かんしゃくを起こしたり、暴力を振るったりする攻撃的な行動だけを攻撃と考えがちだが、涙を流してみたり、責める事によって相手に罪悪感を持たせたり、自分自身に否定的な言葉を使ったり、そうした行動も実は「攻撃」なのである。
確かに、正しくない事や自分が望んでいない事が起こったときに感じる「嫌な気分」は反射的な感情であるので自然な事である。
しかし、望んでいない状況を変えるために「習慣的な攻撃」に頼る反応を選択する必要なないのである。
では、「怒りの習慣」はどこから来たのだろうか?
実は、我々が生まれて最初にとる行動は、泣いたりわめいたりという攻撃行動である。
そして、人間関係の苦悩を経験するにつれて、自分の「攻撃術」を発達させてきた。
人間関係や特定の状況に苦しみを感じるたびに、無意識にその人や状況を攻撃してきたのである。
私たちが苦しむのは、自分が期待していた事と異なった状況が発生した時である。
私たちは、自分の期待通りの状況を作り出すために、他の人がその期待にあわせて現実を変えてくれるように求め続けているのだ。
しかし、私たちが誰かをコントロールしようとすると、相手も負けずに反撃してくる。
私たちが「怒りの習慣」と呼ぶのは、つまり苦悩を感じる気持ちから攻撃行動へと習慣的に自分の常態を移行させる事を言うのだ。
そのような反射的な行動転換に対して今までとは違う反応の選択をすることによって、自分がおかれている環境を変えることが出来るようになるのである。
私たちは、「攻撃」という手段を用いる事が、結果的に人を苦しみへと陥れる罠だという事を知る必要がある。