あなたは、どんな役割を果たすために生まれてきた? | 自閉症、発達障がいのお子さんの気持ちがわかるキネシオロジー

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言葉が遅い、出てこない、話すのが苦手!でも、お子さんは伝えたい言葉をもっていて、それを伝えようとしています。その言葉を受信するには、まずはかかわる人が、素直に受けとめる準備をすること♪自分と仲良くなるセラピーを提供しています。

わたしは
来年で50になるのですが笑

まだ子どもでいさせて
もらっている(笑)

これはわたしが
望んで選択してきた
自分の役割だと

ようやく
肩の力を抜いて
受け入れられたと
思ってます。

あなたは
自分の役割について
生まれ持ってきた
役割について
考えてみたことがある?

もし
自分の役割が
なんだかわからない。

ついつい周囲の人を
うらやんでしまう。

という方がいたら
読んでみてくださいね。

何かの答えになるかも☆

今日はそんなことを
書いてみます☆



わたしは
実家にいるけれど
母も歳の割に
元気なので
美味しいごはんを毎食
作ってくれるし(笑)


これは道民の朝ごはんの定番
鮭を焼いてほぐしたのと
筋子を乗っけて食べる爆笑

なので
わたしは主婦業を
休ませてもらい笑
完全に
子どもに戻った感じです。

お皿洗いとお風呂洗いは
するけどね。

今日もパンを焼いたり

できることはしてるけど

完全におやすみモード。

小さい頃から
家族の愛を
たくさんもらって
生きてきた
わたしだったけど

まだ若い頃は
それを受け入れられず

たとえばお友達みたいな
親子関係とか
そんなのに憧れて
人のお家と
比べてばかりいた。

昭和一桁生まれの父と
ほぼ昭和一桁の母。

その当時の常識でいくと
高齢出産で生まれた子だし
他のお友達の
若いお父さんお母さんが
ひたすら羨ましかった。

なんでうちは
他のおうちみたいじゃないの!
とかなり不満だった。
それを親に
ぶつけたこともある。
かなり理不尽だよね(笑)

今思えば
特に親に不満は
見当たらないのに
人と比べることばかりして

不満を
覚えないといけない

みたいに
思い込んでた時期があった。

発達としては
「親を越えよう」という
時期があるのは
当たり前だから
実に健全なんだけどねーニコニコ

とにかくそういう状態で
大学出るまで
一人暮らししたこと
なかったので

一人暮らしは
もうとにかく
解放される気分満々。

これからは自由!
うるさいことを
言う人もいないし
しあわせそのものだった。

ところが
自分の給料で
生計が立てられるように
なってからも

なんだかんだ言いつつも
実家には
よく顔を出していた。

就職してからは
地方に住んでたから
まぁようは田舎(笑)

札幌で生まれ育ったわたしには
札幌が基準になってて

田舎は田舎で満喫しつつも
買い物に行く時は都会、
と決めていた。
今みたいにインターネットで
買い物ができる時代が来たのは
もうずいぶん後のことだから(笑)

その当時は
親に会いに行くのではなく
買い物目的と
思っていたけれど

きっと
子どもでいさせてもらうことを
無意識に
選択してたんだろうなぁ
と思う。

実家に帰れば
美味しいものを作ってくれ
買い物に一緒に行くと
(もう自立しているけど)
高価ではないけど
わたしの好きなものを
買ってあげるよと
言ってくれる。

今も実はそうだ(笑)

昨日も
服を一枚
買ってもらっちゃった。
高価なものではないけど。


数年前まで
わたしはこの
「子どもでいさせてもらう」
自分がとっても嫌だった。

他の同年代の人たちは
子育てを
そろそろ終える段階に
入ってきている。

なのに
わたしは
いつまでも子どものまま。
何も成し遂げてない。
と思ったから。

不妊治療をしたけど
子宝には恵まれずだったし
余計に
わたしはわたしを
追い詰めた。

でも
自分の内側と
対話ができるようになってきて

わたしは
「子どもでいさせてもらう」
ことをやりたかったのだ。

それを役割として
選んできて
親に親としての思いを
味わってもらうために
この世界にやってきたのだ。

と思うようになってきた。

うちの親も夫の親も
高齢で弱ってはきてるけど
頭はしっかりしていて
元気でいてくれる。

だから
介護の必要もない。

これからはわからないけど
たぶん親たちは
わたしたちが
お世話をせずとも
天寿を全うする気がする。
希望的観測ですが笑
でもそうなる気がする。

だからわたしは
思う存分
子どもができるのだ。

そのために親は
元気でいてくれるのだ爆笑

そう思ったら
いい歳して
親にあーだこーだ
言われるのも
なんだか楽しくなるよね(笑)

それだけ親が
親として機能を果たして
くれているのだから。

子どものように
好きなことをして
生きようと決めてきたのだ。

人と比べて
人をうらやみ
人と一緒じゃなければ
同年齢の人たちと
同じじゃなければ

という思いに
今も縛られていたら

絶対に見えなかった
わたしの役割。
わたしのしあわせ。

めちゃしあわせだね。
これがわたしの
しあわせなんだよ。

それが
受け入れられるように
なってきた。


もし、、、

わたしがやると決めて
生まれてきた役割の中に
子育てとか介護があったら

赤ちゃんを必ず
授かっているはずだし
親も病気や認知症に
なっているはずなの。

だからね。

たとえば

ずっと働きづめで
子育てに親の介護に
それにさらに
自分が病気になって
楽しいことなんて
何一つない。

という
とても大変な人生を
歩まれている方も
いると思うけど

それは

自分自身が生まれてくる前に
チャレンジしようと決めて
きたのかもしれない。

ということを
一度考えてみて
ほしいのです。

「自分で選んで」きたの。

こんなことを書くと
めちゃ冷たい残酷な
感じかもしれませんね。

こんな大変なこと
好き好んで
やっているわけがないでしょ💢

毎日大変なのに
知らないくせに
分かったようなことを
言わないで💢

と言われそうだけど

自分で
選んできてないことは
何一つ起こらない。

そう思います。

だから
今大変、、、という方は

自分の内側と
対話をするときなのかも。

「これはわたしの役割。
これは役割じゃないけど
条件反射で無意識に
やってしまっていること。」

分けて考えてみる
必要があると思うの。

そうやって
見えない部分の意識
潜在意識の部分を
整理していくと

あぁ確かに
わたしが選んできたことで
わたしにしか果たせない
役割なんだなーって
思えるようになってくるはず。

そうすると
自然と生きやすくなる☆

これは確かだと思いますよ爆笑

わたしにも
お手伝いができますよ

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