最近の娘の幻聴の様子
毎日、欠かさずに夕方
幻聴は起きています。
クエチアピン100mg減薬前は、頓服を飲まなくても良い日が週に2日ほどはありました。
100mg減薬後。
幻聴は毎日同じくらいの時間に現れるらしいです
以前の幻聴は、迫害・脅迫系だった様子
「殺すぞ」
「死ね」
ひたすら言われ続けていた娘
いま現在の幻聴は、少しだけまろやかにはなったそうですが…
それでも否定系の幻聴らしいです。
娘がやる事、成す事すべてに、
「違うよ」
と言われるそう
料理をしている時にも現れては、いちいち「違うよ。間違ってる!」
とうるさいらしく
それが本当に(その場にいる)誰かに言われている気がするので…
冷静に状況を観察して、「幻聴だ!」と確信を持つまでに時間が掛かって大変だ、と娘は言いました。
私は何げなく、
「それってさー。全然知らん人の声?それとも知ってる人の声??」
と尋ねました。
すると思いがけない返事が返ってきました。
娘は一瞬、言いにくそうな間をおいて…
「〇田 〇〇子」
…それは小学生の頃から娘が虐められていた、近所の幼馴染の同級生の名前でした。
私は運転中だったのですが🚗
思いがけない娘の言葉に驚きを隠せませんでした
「え?!なんで?!」
娘は苦笑いしながら、
「分からん…。
ね?うちってかわいそうやろ?」
そう言いましたが
いつから幻聴の主が〇〇子になったのか?
かつて急性期の状態が最悪な頃…
幻聴の主が母親である私の時期もありました。
でも次第に私の声では無くなり…
そのうちに「知らない女の人の声」だと娘は言っていました。
その時は本当に知らない女の声だったけど、最近になり〇〇子に変わったのか?
それとも…
もうずっと前から〇〇子だったけど、娘は話せなかっただけなのか?
私の頭の中はパニックでした
かなり動揺しましたが、至って冷静に明るく…
「〇〇子なら全然怖くないやん!あんなボソボソボソボソ小さい声で話しかけてくるんやろ?
『うるさい!!ブス!!消えろ!!』
って一喝してやりなさいよ!」
娘は
「そんな事、言えんよ…」
力無く笑いました
私が代わりに打ち負かしてやりたいくらいです
それにしても…
少なからず、私はショックを受けていました。
娘が発症した原因をあれこれ考えた時に。
離婚。
私の育て方。
そして私が何より一番の要因ではないかと考えていたのが実は、小学生時代の
「いじめ」
でした。
いじめが発覚したのは小学3年生の時。
私に心配を掛けないようになのか…
我慢に我慢を重ねて、半年間も娘はいじめに耐えていました。
そのうちに蕁麻疹が出始めたり、何か娘の様子がおかしい事に気付いた私が娘に問い詰めて発覚しました。
近所に住む同級生女子2人からの登下校いじめでした。
まだ小学3年生だった娘
自分が嫌な想いをしているその行為が、いじめだという事にさえ気付いていませんでした。
元々が口下手だったこともあり…
「なんかね、いつもうちが話し掛けると2人とも聞こえんフリするんよ…
うちが見えてないみたいな感じなんよ。」
最初に私に打ち明けた言葉は、確かそんな感じだったと思います。
『それって…無視やん…』
女子社会あるあるです。
ピンときた私は、早速リサーチを開始しました。
学校側に訴えるにしても、確実な事実確認が必要です。
しかも近所に住む幼馴染ということで…
田舎の小さなコミュニティです。
親同士の人間関係も複雑に絡み合い、私はどう立ち振る舞うべきか。
相当に悩みました。
だけど娘が虐められているというその事実に、私は心の底から激しい怒りが湧き上がりました。
主犯格の〇〇子。
頭の良い優等生タイプです。
学区一のトップ校から、国立大学に現在は通っています。
先日、道で偶然見かけると、派手な化粧をして風を切って歩いていました。
(未だに許せていない私は、思わず掴み掛かりそうになりましたが)
そもそも、そこまで頭が良い子にうちの娘が敵う訳がありません。
いま思えば、小学3年生とは思えない巧妙ないじめでした。
実際は虐められていた娘が、逆に「いじめアンケート」に嘘八百なでっちあげ嫌がらせ行為をしていると書かれる。
(その結果、先生に事実確認で呼び出されるも口下手な娘は弁解出来ず。
やってもいないことをやったことにされ、〇〇子たちに謝罪させられる)
地域の夏祭り当日。
練習の時はいつも一緒に行っていたにもかかわらず、祭り当日だけ置いていかれる。
(早くに浴衣を着て、遅刻ギリギリまで待った娘は、半泣き状態になり私が結局連れて行った)
隣町の夏祭りに珍しく誘われるも、迎えに来た2人は何故か浴衣姿。
(何も聞かされていない娘は、1人だけ普段着姿のまま半泣きで家を出る)
まるで引き立て役。
1人だけ惨めな想いをさせるという巧妙ないじめ。
縄跳びに誘うも、ひたすら娘に縄を回させる。
朝の決められた集合時間よりも早く家を出て、娘だけを置いてけぼりにする。
私が確認出来ただけでも、これだけの事実。
実際は、もっと色々な嫌がらせを受けていたのだと思われます。
そして何より…
子供会での集まりが多い、田舎の小さな地域なのですが。
同級生女子は6人ほどでした。
〇〇子は、その全員を使って娘を除け者にしていました。
賢いので、自分は表立っては虐めません。
周りを使うのです。
ジワジワと周り中から嫌がらせを受けるようになっても、娘は地域行事には積極的に参加していました。
いや…
真面目さ故に、参加しなければいけない、と思っていたのかもしれません。
その当時に私がハッキリと気付いていれば良かったのですが、そんな事実を知ったのは最近です。
最近になり、ようやく娘はあの頃のことを話してくれるようになりました。
当時の娘は学校で、何故か違う地域の子とばかり仲良しでした。
学校に行けば、他の地域の友達が沢山居たので、娘は頑張って学校に行けていたのかもしれません。
その他にも、娘が一番後ろめたく思っていた「父親」の事も色々と言われていた様子。
頭が良くて優等生。
一見大人しそうで、蚊の鳴くような声で話します。
先生受けもすこぶる良く…
この先も、きっと上手に世の中を渡りながら幸せな人生を歩むことでしょう。
勝ち組人生まっしぐらです。
〇〇子が娘を虐めた一番の理由。
それはピアノが原因だったのでは?と私は確信しています。
同じピアノ教室で、同じコンクールにもずっと参加していました。
娘は幼稚園の頃からピアノを習い始めました。
〇〇子は3年生から。
ピアノの3年間は大きく差が出ます。
〇〇子の母親が言っていました。
〇〇子は、とにかく1番が好きなのだと。
1番になる為には、とにかく滅茶苦茶頑張る子なのだと。
勉強やマラソン大会は、常に娘に勝っている。
だけど…
ピアノだけは、娘が何倍も上手でした。
そもそも弾いている楽譜のレベルが違っていました。
当時は私も特に気にしてはいませんでしたが…
今になって、娘が虐められた原因を考えた時にふとその事が思い浮かびます。
発表会も学年順にプログラムが組まれます。
その中でも、上手な子は後ろの方に組まれます。
〇〇子は、いつも学年の最初の方。
娘は最後から2番目とか最後とか…
とにかく後ろの方でした。
娘はのんびりしているので
だからといって優越感に浸るような気の利いた子ではありませんでしたが
〇〇子は、相当悔しい想いをしていた様子は度々見受けられました。
学校の合唱コンクールの伴奏も。
娘は何故か、毎年選ばれませんでした。
いつも選ばれるのは、〇〇子。
ある時、ピアノ教室の先生が不思議に思い娘に尋ねられました。
「どうして〇〇ちゃん(娘)はピアノ伴奏選ばれないの?あなた一番上手でしょう?」
と。
娘は、
「だってすぐに〇〇子ちゃんが手を挙げて、決まってしまうもん。」
先生は不思議そうに言われました。
「え?おかしいな。〇〇子ちゃんは、わざわざ担任の先生にお願いされて困ってるって言ってたよー?」
と。
まぁ…
一時が万事、常にそんな調子でした。
のんびりしている娘は、いつも出し抜かれている感が否めませんでした。
とにかく賢い子は、親や周りの大人たちにも巧妙な嘘で自分を取り繕うことが出来るみたいです。
「小学生なのに?!」
私は背筋が寒くなったのを覚えています。
他のことは全てにおいて1番でも、ピアノだけは娘が居る限り、1番にはなれない。
娘は目の上のたんこぶ的な存在だったのかも。
今となっては、真実は藪の中。
あくまで私の推測に過ぎませんが
もう8年くらい前の事で、彼女たち一家にしてみれば「いじめ」は遠い過去の過ちでしょう。
「子供だから仕方なかった」
くらいの感覚かも。
でも少なくとも、あの時のいじめが発症に至る何らかの原因になったかもしれず。
いま現在も幻聴の主が〇〇子だという現実と向き合っている私たち親子にしてみれば…
例え逆恨みだと言われようとも。
娘の一生を台無しにされた、という想いは到底消えることはありません。
そして私たちは「過去」になんてまだまだ出来ないまま…
「現実」として闘っているのです。
私は愚かな母親なので。
ある日突然、元気だった娘が病気になり。
しかも一生完治は見込めない、重篤な精神疾患。
大切に育ててきた娘が、「精神障害者」として、この先の長い人生を歩んでいかなくてはいけなくなった現実と向き合うときに。
何かのせいにしたり。
誰かのせいにしたり。
そんなことは無意味であると分かってはいても、そうせざるを得ない心理状態に陥った時期がありました。
勿論、〇〇子のことも。。。
だけど私が一番許せなかったのは、自分自身でした。
いじめが発覚したあの時。
どうしてもっと毅然とした態度を取れなかったのか。
学校と話し合ったり、親同士で話し合ったりする中で。
ただ「カドが立たないような」対処をしてしまいました。
到底許すことなど出来ない心理状態にありながらも、丸くおさめてしまいました。
あの時の母親の姿を、娘はどう思っていたのだろうか。
「仲直りなんて、絶対しなくていいよ!一生許す必要なんてないよ!あんな子とは今後一切、付き合う必要なんてないよ!」
強くそう言ってあげればよかった。
心の中ではそう思ってはいたのだけれど。
幼い娘にそんな汚い言葉は言ってはいけないのだと何故か思ってしまって…
「誰とでも仲良くしようなんて思わなくてもいいんだよ。
友達は選んでもいいんだからね。
嫌なら登下校はもう、一緒じゃなくていいよ。」
娘には、オブラートに包んでそう伝えただけでした。
〇〇子の母親とは、私は仲が良かったので。
その後もなんとなく良好な関係は続きました。
だけど…
本当はもっと言ってやりたい事は山ほどありました。
喧嘩別れする覚悟で、母親ならぶつかるべきだったのだと…
今になって後悔しています。
そんな母親の姿を見たら、娘自身も自分の中のドロドロとした汚い感情を…
吐き出すことも出来ず、ただ飲み込んで消化するしかなくなって…
ただ自分を取り繕って生きていく道を、母親が作ってしまったのかもしれません
未だに幻聴の主が〇〇子だという現実は、娘にとって何を意味するのだろう?
やはり過去のトラウマ的なものか?
はたまた国立大学に通い、人生を謳歌している〇〇子に対する劣等感?
いずれにしても。
私が思うことはただ一つ。
娘の人生に〇〇子は、全くもって必要の無い人物だということ。
人生は選択の連続だと思います。
取捨選択は最重要事項です。
人間関係において、それは特に重要だと私は考えます。
自分にとって害にしかならない人間って、少なからずいるものです。
自分の人生を豊かにしていくのは自分自身です。
害にしかならない人間をバッサバッサと切り捨てていくのは、自分の身を守る上で必要不可欠。
娘に私はしっかりと伝えたいです。
「道で会っても無視していいよ」と
「私は大嫌いだよ」
って声を大にして言いなよ
周りにだって、言っていいんだよ、と。
気なんて使うな
好きなひと。
嫌いなひと。
大人になると、好きなひととだけ付き合っていけばいいんだから楽だよ〜と(笑)
子供って、実は大人より大変なのかもしれません。
「学校」というコミュニティは究極に取捨選択が出来ない環境ではないでしょうか
ただ同じ年に生まれたから、と同じ生活空間に閉じ込められて…
合いもしない人間と、友好的な関係を強いられ…
まぁ、それが社会勉強なのだと言われればそれまでですが
私は娘の母親なので。
娘の良いところを沢山知っています。
昔から、ずる賢いところは全く無い子でした。
計算で動くことも苦手で…
そんなところが良い部分でもあり、悪い部分でもあり
損をすることもしばしば(笑)…
だけど娘は、そんな内面が見た目にも現れていて…
柔和な雰囲気は、誰からも好かれる要素だと親バカながら思います。
自己肯定感が低く、自分に自信がない娘
自分の欠点ばかりでは無く…
もっともっと自分の武器となる長所にも目を向けて欲しいです。
泣いて過ごしても
笑って過ごしても
同じ一日です
人生は長いようで短いもの🛣️
自分が好きなものだけを選んで、楽しく生きていけば…
今より荷物も軽くなり、楽に生きていけるよー♪と…
50年生きてきた母は、娘に伝えたいです