かなり落ちた1週間ほどを過ごした娘
毎週、日曜日にパン作りをするのですが。
先週は見るからに調子が悪かったので、能面顔でパン作りに取り掛かろうとする娘を全力で止めました
すると、更に更に娘は不機嫌モードになり
「分かったよ!作らんどけばいいのやろ?!作りたかったのに」
こんなお怒り発言をしていました
そんな些細なやり取りからも、私は娘の調子の悪さを確信
娘は調子が悪くなると、とにかく会話のキャッチボールが成り立たなくなります。
恐らく…
心と身体に全く余裕が無くなり、
「周りの状況を見たり」
「相手の心情を慮ったり」
そういった事が難しくなるのだと思います。
考えも一方向で。
自分の言葉だけを一方的に言って、あとはいじけモードに突入です
「どうしてパン作りをしない方がいいと言ったのか」
体調を考慮しているのだと、いくら説明しても全く聞く耳持たず。
「ママがパン作りをするなと言った!!」
ただただこの短略的な思考に支配され、最早、娘の中で私は悪者です
あくまでこれは私(母)目線での捉え方です。
娘は、どうしようもなく辛い辛い症状と常に向き合わなければならず。
その辛さを想像する事さえ、第三者には難しいと感じます。
今週の日曜日。
私が起きた頃にはもう、娘はパン作りに取り掛かっていました。
ニコニコして表情は穏やか
「今日は昼過ぎから野球を見たいけん、パン作りは朝一にするって決めてた」
そう言って、テキパキと忙しく動いている娘
とても美味しいウインナーパンを作ってくれました
「最悪…。めっちゃ焦げてしまった」と娘は、やや落ち込んでいましたが
味はバッチリでした♡
焼きたてウインナーパンを、家族全員で頂きました🌭
なんだか…
あんなに落ちていた娘ですが。
見るからに浮上しています
聞けば、娘自身も
「上がった…かも!」
と言いましたが。
「かも」と付けるあたり…
娘自身も日々の体調が不安定過ぎて、完全に浮上したのかどうかは「まだよく分からない」状況なのでしょう。
だけどまぁ…
ニコニコと大好きなパン作りが出来ている現実。
まだまだ油断は禁物な事は重々承知ですが。
(※4年この病気と付き合う過程で、私の中で『楽観的』という言葉は完全に消え去りました)
だけど同時に、闇雲に心配ばかりを募らせても無駄な事も学びました。
なので、ただ見守るのみ!!
結局はこうなってしまいます
ふと娘のピアノを聴きたくなり…
スマホの中に入っている過去の動画を、久しぶりに開いてみました。
娘は5歳から、病気になった14歳まで…
9年間ピアノを続けました🎹
いや、正確には15歳までかな。
発症してからも、
「ピアノだけは続けたい」
と本人が言ったので、1年間は続けましたが…。
やはり病状が酷く、まず全く楽譜が読めなくなりました。
そして薬の副作用で手も震えて思うように動かず。
何より、30分のレッスンさえも椅子に座って集中する事が難しくなり。
小さい時からずっと御指導して頂いた先生だったので…
先生にだけは病気を発症した事を話して、無理の無いレッスンをして頂いたのですが。
最後に取り組んだ曲は、ベートーベンの「月光」。
病気にさえならなければ、譜読みもサラサラと終わったであろうところまで、娘は上達していました。
だけど…全く譜読みが進みませんでした。
どんなに…どんなに頑張っても、最初の2行までしか弾けない娘
「頭に全く音符が入ってこない…」と。
そして娘は、遂にピアノを辞める決断をしました
レッスンを辞めてからも、娘は時々ピアノを弾いていますが…。
あんなに上手に弾いていたクラシックは全く弾けなくなっています
スマホアプリで、流れてきた音を弾く形で、髭ダンの曲やジブリの曲などを楽しそうに弾いています。
家に楽譜は山ほどあるので、簡単な曲を弾いてみたらどうか?と勧めてみましたが…。
「ヤバい!!全く弾けん」
私は娘たちのピアノが大好きでした
母子家庭で娘2人にピアノを習わせるのは大変で
月の月謝は勿論、発表会やコンクール。
その都度、参加費は2人分です💸💸
成長に合わせて、ドレスもそれなりに新調せねばならず👗
だけどそれでも私が頑張れたのは、娘たちが弾く曲が本当に癒しとなっていたからです
新しい曲が決まる時のワクワク感。
そして頑張って練習した娘たちが、素敵なクラシックの曲を奏でるようになり…
コンクールで賞を取ったり、逃したり。
(泣いたり笑ったり、色々ありました)
だけど私の中で、結果はどうでも良かったのです。
娘たちのピアノの音色で、私の心はどれだけ豊かにしてもらったか
本当に娘たちには感謝しかありません。
長女は病気で辞め…
次女は中学3年生で「辞めたくて辞めたくて」辞め(笑)
(※先生と私に強引に引き留められて、ズルズルと続けさせられた次女)
今となっては、娘2人とも私の大好きなクラシックは全く弾く事が出来なくなってしまいましたが
私は時々、昔の動画を観ては1人で微笑んでいます(笑)
そしてふと、ある動画を見つけました。
娘がジャージ姿で弾いている曲。
曲名は何だ?
ショパンのワルツかな??
コロナ禍真っ只中の5月です。
全くこの曲に想い出が無かった私
それもそのはず。
この曲は、7月の発表会に向けて練習していた曲なのですが…。
この年のイベントはコロナ禍でことごとく中止になりました。
その為に発表会も中止となり、全く日の目を見なかった曲でした
発表会も何も無かったので、きちんとドレスを着てステージで演奏している動画が何も無く…
私の記憶からも消し去られていました
そして、この動画の3ヶ月後に娘の様子は少しずつおかしくなっていきます。
謂わば、娘のピアノキャリア最後となった曲なのです。
まだ発表会の2ヶ月程前の練習動画です。
呑気に動画を撮っていた私は、まさかこの曲が最後になるとは微塵も思わずに…
今思うと本当に切なすぎます
まだまだ強弱や緩急も付いておらず、曲想を考えた演奏には程遠い荒削りな出来ではありますが…
娘らしい、とても優しい綺麗な音色です
この曲の完成系の動画は何故か撮っていない私
夏頃には徐々に娘の様子が病的になり始め(リストカットが始まったり)
きっとそれどころでは無い生活に突入したのでしょう。
これが最後の曲になるのなら、もっとちゃんとした形で残してあげたかったな…。
本当に悔やまれます
娘が統合失調症になり、母親である私が一番ツライこと。
それは発症した事で、娘の子育てが「すべて間違いだった」という烙印を押されたと感じる事です。
一生懸命、頑張ってきた子育てがすべて『後悔』という二文字だけになってしまいました
ピアノに関してもそう。
いま現在、楽しい高校生活を満喫しまくっている次女に関しては特に何の感情も湧きません。
次女は、姉の後を常に追っていたので。
早い時期からのコンクール参加でした。
でも小学校高学年頃から、「ピアノ辞めたい」とよく愚痴っていました
本人の気持ちとは裏腹にメキメキと上達してしまったので(笑)
ついつい期待してしまい、ズルズルと中学3年まで…
「ショパンを最後に弾いたら辞めてもいいよ。」
と謎の強制ショパンで、ようやくピアノ生活終了。
(※ショパンは2曲も弾かせた事。次女は今でも根に持っています)
こんな親のエゴ丸出しの子育てで育った次女
その反動からか、今では全くピアノに触ろうともしません。
あんなに動いていた指も、きっともう動きません(笑)
だけど、
「ピアノを習わせたこと。頑張らせたこと。申し訳ないことをしてしまったな…」
そんな感情は全く次女には湧かないのです
長女に対してのみ。
私は終わってしまった幼少期の子育てに、後悔の念が纏わりつきます
取り返しのつかない病気にしてしまったのは、きっと私の育て方が間違っていたから。
ピアノも習字も。
長女は本当にやりたい訳ではなかったのかもしれない。
私(母親)に気を遣って、ピアノが好きな娘を演じていたのかな
そんな事を考え出すと、キリがないくらいに色々な場面が頭の中を駆け巡ります。
きっと娘が今でも元気に楽しく、普通に生活しているのならば…
コンクールで思うような結果が出なかった帰り道。
泣きながらステーキを食べたあの日も…
(※お肉大好きな娘でした♡)
昇給試験のステージで負のループに陥って号泣していたあの日も…
きっと良い思い出として、私の中に残っているのでしょう。
だけど違います。
何なら良い思い出さえも、私の中では全てが真っ黒いモヤがかかったような感覚なのですから。
すべての出来事が、「失敗してしまった子育て」という真っ黒い感情に飲み込まれてしまうのです
『後悔先に立たず』
まさにこれです。
私は死ぬまで…
娘を病気にしてしまった戦犯だという十字架を背負って、生きていくのだと思います。
もう一度、子育てをやり直せるなら…。
ピアノも習字も何もさせない。
ただただ自由にのんびり遊ばせよう。
勉強しなさい、も言わない。
学校行くのが当たり前なんて言わない。
何にも言わないよ。
好きな事だけ思いっきり楽しませて、いっぱいいっぱい娘のことを褒めてあげよう。
だけど確実に叶えられない希望なので…
虚しくなるばかりです
大切な娘に、こんなに辛い病気を背負わせてしまったこと。
いつもいつも無意識に自分を責めてしまいます。
優しい娘はきっと、
「病気になったのはママのせいじゃないよ」
と笑って言ってくれると思いますが