ヒマワリヒマワリヒマワリ

最近、太ることを気にし過ぎている娘凝視


再発時には

「食べるな」幻聴が酷かったせいで、食事が全く摂れなくなった時期がありました。


体重が40kgを切りそうになった時には命の危険を感じたほどです魂


激しい幻聴を抑えるために、当時の主治医が選択した併用薬は「クエチアピン」でした。


主剤は「オランザピン」です。


オランザピンとクエチアピン。


どちらも食欲増進の副作用があります。


その時は、とにかく食欲が出てくれる事だけを祈る毎日だったので…。


主治医からも

「どちらも食欲増進の副作用がありますけど、(今は)気にしなくてもいいかと思います」

くらいの説明でした。


担当薬剤師さんがチラリと

「今はいいけどねー。良くなってきた時がこのダブル処方はキツイかもしれない…。お腹が滅茶苦茶空くからね。」


そう言われていたのが何となく気になり、私の耳にずっと残っていましたちょっと不満


そして娘の状態が安定してくると共に…


薬の副作用は容赦なく、確実に現れましたもやもや


娘曰く、食べても食べてもお腹が空いている状態なのだそうです。


娘はかなり自分を律して、太らないように頑張っています驚き


本当に、涙ぐましいまでの努力です泣


体重は54kgをキープしていますが…


小柄な娘なので、病気をしなければ50kg未満の体重だったのではないかと思われます。


もともと骨細いせいもあり、かなり丸ーくふくよかな体型になってしまっている娘大あくび


顔も体もまん丸になった娘を見ると、

病気のせいで…

薬のせいで…

と本当に可哀想になってしまうのですが。


でもガリガリだった頃の娘を思うと、「断然、今のお肉プリプリの娘の方が可愛いわ〜♡」

と思ってしまう勝手な母です泣き笑い


クローバークローバークローバー

毎日、納豆を必ず食べて…

食べる量も極力抑えて…

カロリーを気にする日々。


これまた薬の副作用でお通じも悪く魂

化マグと漢方薬の下剤を飲む日々。


お風呂上がりには、ビリーズブートキャンプを欠かさず頑張っていますダッシュ


毎日毎日、体重計に乗ってはグラム単位で一喜一憂している娘無気力


今の主治医が

「いや、この処方でこの体重を維持しているのは凄いことですよ。」

と褒めて(?)くれました。


本当に凄いことらしいです。


娘の体重管理のために、何かやれることはないかなぁと私は真剣に考えましたちょっと不満


ヒヨコヒヨコヒヨコ

そんな折、ふとしたきっかけで見つけた隣町の「テニス教室🎾」


定員は10名。

ラケットを握ったことがない初心者でも大丈夫だそうです🔰


運動が超苦手で大嫌いな私が、高校の体育で選択した「テニス」だけは何故か楽しかった想い出があり指差し


娘を誘ってみると、

「行きたーいニコニコ

と即決でした気づき


すると何故か下の娘も

「えー、うちも行きたーいお願い

と言い出して…DASH!


3人で申し込みました目


毎月毎に募集の教室で、8月は2回。

時間は50分です。


星星星

当日。

私はドキドキしていました。


娘ではなく、私が大丈夫なのかと。


ただでさえ超運痴だった私真顔

若い時でさえ…だったのに、更に更に体は老化しています。


走れるのか?

ラケットにボールは当たるのか??


でも云うて50分。

恥をかいたとしても、あっという間に終わるさ気づきなんて自分を励ましました。


娘は運動が得意というわけではありませんでしたが、何故か球技は得意でしたにっこり


まだ小さい頃、甥っ子たちと一緒に父がよくキャッチボールをしてくれたのですが…


ピンクのグローブで一番上手に球を取っていました。


参観日のレクレーションでドッジボールがあった時も…


4年生男子の殺人級の高速ボールに母親達がギャーギャーと逃げ惑う中…


なんと娘が果敢にキャッチしていて、本当に驚いた私あんぐりハッ


他のお母さんも

「〇〇ちゃん、すごいね?!」

と驚愕していました(笑)


なので…


病気のことはさておき、娘のことは特に心配していませんでした。


下の娘はキョロキョロ

もう全くの心配無し笑い


カメカメカメ

軽い自己紹介のあと、いきなりボールを打ち始めました。


並んでコーチが打ったボールを順番に打ち返します。


右に左に、次から次へと並び直して…


勿論、私は「運が良ければ」当たる感じ泣き笑い


娘たちは、まぁまぁな感じでしたにっこりニコニコ


でも時間が経つうちに、皆さん最初は下手だったのに…

段々と上達していきます。


気が付けば、私だけが常に最初の状態のまま不安


コーチの声掛けも、私にだけ励まし系のような…


だけど50分、なんとかやり遂げました気づき


娘は誰よりも汗だくになっていて驚き


下手くそな私は少し恥ずかしかったけど、でも何だか楽しかったです音譜


やはり50分とはいえ、ずっと動いているので…


なかなかの運動量です。


これはもしもテニスが上達すれば…

町内のテニスコートを借りて、娘たちと適当なラリーをするだけでも結構な運動になるのでは?!と思いました。


何より楽しそう音譜音譜音譜


黄色い花黄色い花黄色い花

そして更に…

何日かして新聞に入っていた「チョコザップ」のチラシを見て…。


娘の通う通信高校&就労移行の目と鼻の先に「チョコザップ」があります。


娘は「行きたい!」と言い出しました。


ジムだけではなく、脱毛なるものもあり笑い(そちらの方が気になった様子でした☺︎)


就労移行が15時に終わるので、帰りに1人で寄ってくる…と言います。


月に3000円かぁ…。

痛い出費だなぁ…なんて考えたのですが。


いや、まてまて。

そもそも何でも

「ママ、一緒に行こう」

と言っていた娘が、1人で通おうとしていること。


これってものすごいことでは!?


私は早速、申し込んであげることにしました指差し


次の日。


早速娘はお仕事を終えて、1時間ちょっと…。

汗だくになって運動してきていました爆笑


脱毛もしてきた模様ひらめき電球


なかなか居心地が良くて、快適だったらしいです気づき


楽しく運動出来て、体重管理が出来るなら本当に良かったです


チューリップオレンジチューリップピンクチューリップ黄

私は自称、娘の「リハビリコーディネーター」ですキメてる


そんな資格なんてどこにも無いのですが笑い


私はもうすぐ50歳になります。


正直、年齢的にいつどうなるか分からないくらいの年代に突入します。


やはり気掛かりは病気の娘真顔


素敵な旦那様に巡り会えてくれる事が一番の望みではあるのですが…


もしも娘が1人で生きていかなければならなくなった時に。


趣味なり何なり。

好きなこと、出来ることは沢山あった方が絶対に彩り豊かな人生を歩めると思うのです。


自称「リハビリコーディネーター」の私が今まで娘にコーディネートしたのは…


宝石緑料理

宝石緑パン作り

宝石緑野球観戦

宝石緑スポーツ観戦

宝石緑チョコザップ

宝石緑テニス(予定)


なかなかの実績ではないかと、我ながら思いますグッ


私が娘の性格的に「これ、いいんじゃないかな?」とか。

「これ、好きになるんじゃないかな?」とか。

閃いて提案したものに、娘が上手く乗ってくれた結果なのですが(笑)


でも続かないものも多々ありました。

習字や刺繍🪡

これも飛びついたのは最初だけであせる


どちらも娘は大好きなんですけどねDASH!

何故だか、長く続けられる趣味にはなりませんでした。


兎にも角にも、病気をしてから娘が取り組んできたこと。

好きになったこと。


必死に娘の「リハビリ」だと思って見守ってきたことが、こんなにも形になっていること。


本当に嬉しい限りですクローバー


病気で辛い想いを沢山している分、それ以上に楽しいことも沢山経験出来る人生であってほしいですブーケ1


ねこへびねこへびねこへび

娘の就労移行もお盆休みです。


「暇だ、暇だ」と言いながら、連日、手の込んだ料理を作ってくれていますニコニコ


13日には、20時過ぎまで残業になりヘトヘトになって家に帰ると…


100個もの手作り餃子を作ってくれていましたキラキラ


同じくバイトで遅くなった下の娘と大喜びしました泣き笑いラブ


夜ご飯の後片付けをしながら…


私はふと思い出しました。


4年前…。

娘が幻聴を発症したのは9月終わり。


その少し前のお盆の時。


上の棚に置いていた小鍋が、食器乾燥機に落ちました。


全然、落ちるようなところに置いてはいなかった筈なのにあせる

本当に不思議でした。


そして何故か、並べてあった家族全員分のお茶碗があったにもかかわらず…

娘のお茶碗だけに直撃ピリピリ


破片が飛び散るような割れ方ではなく、綺麗に真っ二つに割れました。


お盆ということもあり…


その場にいた私と母は気味が悪くなり、なんだか異様な胸騒ぎを覚えました。


というのも、既にその時期に娘は、前駆症状と思しき症状が現れはじめていました。


翌日、私はすぐに新しい娘のお茶碗を買いに行ったのですが…。


変な胸騒ぎもあり、とびきり縁起の良さげな招き猫のお茶碗を選びましたにゃー


しかし結果的に、その後発症した娘真顔


後に、母とあのお盆の日のお茶碗が割れた出来事を思い返しました。


「お盆やったけん、誰かが〇〇ちゃんが危ないよ、気を付けなさいって教えてくれたのかもしれんね…」


本当にそうだったのかもしれません。


思い当たる人は何人も居ます笑い


「一体、誰だったんだろうね?」

今でも母と話す時があります。


あのお盆の日から4年。


「大変な4年間だったけど。これからも大変な人生だけど。

どうにかここまで回復出来たよ〜」


今年も心配して様子を見にきてくれているであろう、いつも見守ってくれている御先祖様に(心の中で)報告しましたクローバー