ヒヨコヒヨコヒヨコ
先日、仕事から帰ると母から

「今日はじぃちゃんと〇〇(娘)でコメダ珈琲に行ってきたみたいよー」

と報告が気づき

父もご機嫌でした笑

先日、次女のアルバイト先まで朝早くに車で送った後に、長女と私でコメダ珈琲のモーニングに行った時…

あんバタートーストを食べながら

「これ、じぃちゃん絶対に好きよね〜。あんこ大好きやし!今度、連れて来てあげたら?!」

何げなく娘と話していました。

それを娘は覚えていたみたいで(笑)

じぃちゃんを誘ったそうですニコニコ

77歳の父はコメダ珈琲が何かも分からず笑い
「お昼食べに行こうよ!」
と可愛い孫娘に誘われて、二つ返事で車を出してくれた模様🚗ダッシュ

チューリップオレンジチューリップ紫チューリップピンク
あんバタートースト🍞とかき氷を2人でシェアしたらしい2人👴にっこり

娘も
「じぃちゃん、コメダ珈琲めっちゃ気に入っとったよ〜気づき

とご機嫌でした(笑)

77歳のじぃちゃんと18歳の娘がかき氷をシェアって……あせる

母と2人で笑いました。

「普通、年頃の女の子がじぃちゃんと一緒にとか行かんよねぇ笑い
その上、かき氷をシェアとかって(笑)」

因みに、次女には絶対に考えられないことですグラサン

祖父母にはいつもそっけなく、ぶっきらぼうな次女…汗

ムカつく態度をよくとり、じぃちゃんが(陰で)よく怒っています。
(※孫に嫌われたくないのか、直接は怒れない可哀想な祖父汗)

でもまぁ…

思春期真っ盛りの女子高生なんて、そんなものです。

女子は皆が辿ってきた道かと(笑)

私も妹も、中学生から高校生くらいまでは両親とはよく衝突していましたパンチ!

やることなすこと全てが鬱陶しくて雷

口も聞きたくないくらいの時期がありましたDASH!

うちは私が離婚して祖父母と同居なので。

娘たちにしてみれば、祖父母は日常的に生活を共にする、いわば遠慮のない家族です。

なので、普通は両親に向かう反抗期の矛先が祖父母に向かうのも理解は出来ます。

なので…
次女のそんな態度も年齢を重ねると落ち着くことは分かっているので、今は静観しています指差し

星星星
一方の長女にっこり

じぃちゃんとは大の仲良しで、よく2人でイオンに行ったり。

公園や神社へ散歩に行ったり。

時にはワンコの散歩も2人で行ったりしていますわんわん

18歳の時の自分はどうだったのか考えてみました。

やはり…

父と2人で、わざわざ仲良く出掛けたりはしなかったよなぁ…と真顔

これは思春期真っ只中で、こんな病気になったからなのか???

もともとの娘の性格なのか???

考えてみたところで、病気になっていない思春期の娘は何処にも居ないので分かりません昇天

クローバークローバークローバー
考えられる事はただ一つ。

娘は病気になってしまった事で、家族に迷惑や心配をかけた事を申し訳なく思っています。

私や次女に対しては勿論ですが、祖父母に対しても…です。

初めて大きな再発をした入院時。

生まれて初めて入院をした孫娘を心配した祖父母は、お見舞いに行ってくれました。

お世話になる看護師さんたちに菓子折りを持って…。

精神科閉鎖病棟に入院した孫娘のお見舞いなんて、精神的にかなりキツいと思ったので私はやんわりと「行かなくていいよ」と言ったのですが。

「心配やけん。あの人も心細いやろうけんね」

だけど、その日。

娘は面会に出て来ませんでした。

どんなに状態が悪くても、私の面会を断ったことがなかった娘真顔

仕事から帰って、母に
「〇〇ちゃん、今日は調子が悪いけんって会えんやった。
看護師さんに菓子折りだけ渡して、お願いして帰ってきたよ。」

そう聞いた私は、そんなに状態が悪いのかと具合が悪くなりました不安

翌日、面会に行った私。

娘は看護師さんに支えられて面会室までやってきましたネガティブ

聞けば、幻聴が24時間おさまらず魂

凄い量の抗精神病薬を服用。
それに加えて強い注射も打たれていた娘は、大量処方の副作用から足の制御が効かなくなり…

車椅子生活になっていましたガーン

勿論、髪はボサボサ…
目もうつろで…

余裕なんてまるでない様子ネガティブ

私との面会も、出てきてはくれましたが話なんて出来る感じでは到底なくガーン

娘の変わり果てた姿を一目見た私は、一瞬で具合が悪くなり不安

何も話が出来ないまま面会は終わり。
無言で部屋に帰ってしまった娘を見送りながら呆然と立ち尽くす私に、担当の看護師さんが話しかけてくれました。

「本当に優しい子ですね。
昨日はおじいちゃん、おばあちゃんが面会に来てくれたんですけど…。
車椅子になった姿を見たら、心配させてしまうからって会わなかったんですよ。」

歩けなくなった娘の姿を見て。
もしかしたら…わざと娘は昨日、祖父母に会わなかったのかもしれない、と感じていた私

優しい娘が考えそうなことだな、と涙が出ました悲しい

普通だったら、そんな事を考える余裕は無いはず。

僅か16歳で、まるで怪奇現象のような症状に苛まれ魂
親元なんて離れたことがないのに、たった1人で精神科閉鎖病棟に入院魂

終わることのない辛すぎる症状魂

そんな中でも、そんな自分の姿を見た時の年老いた祖父母の心配が出来る娘なのです昇天

優しすぎるが為に、こんな病気になってしまったのかな。。。

ブーケ2ブーケ2ブーケ2
最近、毎日の幻聴はあるなりに安定してきた娘にっこり

通信高校も就労移行支援も…

休まずに楽しく通えています。

料理も何でも作れるようになり。

パン作りも上達して。

安定してきて、心にも余裕が出てきたみたいですひらめき電球

最近は、祖父母の心配をよくします。

祖母が疲れていると、

「ばぁちゃん、ゆっくりしときー!
うちがご飯の用意はするけんいいよ!」
といった感じで気づき

「じぃちゃん、ばぁちゃん孝行をいっぱいしたい!」
と、いつも言っています。

母がある時言っていました。

母の日のプレゼントを娘が買ってきた時に、

「〇〇ちゃんは本当に優しいよ。
『いつもママには迷惑しかかけてないけん。ママの喜ぶプレゼント渡したい』って言いよったよ」

「あれくらいの年の子が、なかなかそんな事は言えんよ。」

そう言って感心していました。

黄色い花黄色い花黄色い花
もともと優しい子ではあったのですが。

やはり病気が大きく関係しているのだと思います。

娘が発症して3年…。

最近でこそ症状は安定してきましたが、昨年くらいまでは(支える側も)大変な毎日でした。

まだまだ不安定だった頃には、すべての感覚が過敏だった娘真顔

聴覚、視覚、味覚、嗅覚、触覚。
いわゆる五感です。

生きてく上で、感覚過敏が病的だというのは日常生活を普通に送ることさえ難しくなります。

それに加えて希死念慮や気分の波の浮き沈みの激しさ、被害妄想…。

どこが大変、何が大変というのではなくて。

とにかく「娘の居心地がよくなるように」家族みんなで気を遣って生活していました。

散々気を遣ってはいても、それでも娘は不安定になったりして…昇天

特に退院してきてからの生活は本当に気を遣いました。

ただ私は日中は仕事で居ないため、ずっと家に居る両親に娘の事はお願いしていました。

父も母も病気の知識さえも無く…

父は母に、
「とにかく余計な事は言わないこと!」
と釘を刺されていました。

父が無神経に娘に何かを言ってしまわないか、と母は過剰に心配していました(笑)

私もざっと母には病気の性質などは話してはいましたが…

詳しい経過などはきちんと話したわけではありません。

きっと母なりにネットや何かで病気のことを調べてくれたのだと思います。

退院時に主治医に言われていたのは、
「被害妄想で家に居れなくなることだけは避けたい」
ということ。

娘の場合、被害妄想が家族に向かってだったので。

幻聴の主は母親の私だったこともありました。

「家に居れなくなる」と本当に大変な事態になるから、とくれぐれも言われていました。

家族みんなで、家が娘にとって安心で快適な空間となるようにと神経を擦り減らして生活していました。

次女もそんな空気を読んで、かなり姉には気を遣ってくれていました。

ブーケ2ブーケ2ブーケ2
私がこの3年間を何とか乗り越える事は、両親の協力無しでは到底無理でした👴👵

私が何とか仕事をしながら闘病生活を支えることが出来た事。
本当に感謝してもしきれないくらいです。

病気の事には何も触れずに、ただただ娘を温かく気遣って見守ってくれました。

そんな祖父母の優しさを、娘は無意識に感じていたのかもしれません。

症状が酷い時よりも

安定した今だからこそ。

娘は祖父母の優しさを思い知っているのかもクローバー

ヒヨコヒヨコヒヨコ
娘が病気にならなかったら、今頃じぃちゃんと仲良く2人でお出掛けなんて有り得なかったかもあせる

母と
「じぃちゃんには良かったかもね〜(笑)孫娘とあちこち行けて気づき

そう笑いましたが。

まぁ…
孫思いの父には
孫が病気なんてせずに健康なことが一番、望むことだとは思います汗汗汗

でも病気になってしまった以上…

病気ではあっても「幸せ」であってほしいと、きっと祖父母は願ってくれています流れ星