チューリップ黄チューリップ赤チューリップ紫

なんだか散らかり放題の私の寝室…ダッシュ


忙しさを言い訳に、ろくに片付けもしていなかったのでもやもや


天気の良い日曜日に、要らない物は捨ててしまおう!と思い立ちました指差し


何年も手付かずだった、膨大なプリント類。

娘が再発した時に沢山取り寄せた、通信高校のパンフレットの束。

下の娘の塾のパンフレット。

下の娘の部活動の役員をしていた時の膨大な資料。(※くじ引きで引き当てたのですが…上の娘の看病と重なり大変な思いをしました泣)


もう50歳目前にして、いつどうなるやら分からない身なのでDASH!

少し感傷に浸りながらも…

思い切ってバンバン捨てていきました。


カメカメカメ

するとカゴの中から、スケジュール帳が5冊(過去5年分)出てきました📕


まだ子どもたちが小学生の時に「子供会役員」をしていた時のスケジュール帳。

夏祭りの時のくじ引きの買い出しや、唐揚げや焼きそば、鶏の炭火焼きの準備。

かるた大会の時のお弁当の手配。


スケジュール帳にはビッシリと私が頑張った(笑)証が書き込まれていて泣き笑い


一家庭一役制で嫌々やっていた2年間…。

母子家庭さえ言い訳にもならないこのご時世です。

めちゃくちゃ大変だったけど、過ぎてしまえば良い思い出です。


そしてまだ娘が元気だった頃の…

家族みんなが「普通の」生活を送っていた頃をつい懐かしんでしまいました。


でも過去のスケジュール帳を取っておく必要もないのでDASH!

4冊の手帳は何の躊躇もなく、捨てました。


ヒヨコヒヨコヒヨコ

だけど…


5冊目のスケジュール帳を開いた時に、私の手は止まりました。


それは3年前のスケジュール帳📕


幻聴が始まり…

10月最初の月曜日に初受診した頃から、高校入試を経て全日制高校へ進み…


高校へ通う過程で再発してしまうまでの、1年間の日々が克明に記されたスケジュール帳📕


元来ズボラな私は、普段はあまり上手にスケジュール帳を利用出来ていません指差し


いま使っているスケジュール帳も、用事のある日に⭕️をつけて日時を書き込んでいるだけの適当なものです。


それが、その年のスケジュール帳だけは…


毎日毎日、日記形式でビッシリと日々の娘の様子が事細かに書き込まれていましたあせる

(きっと私もどうかしていたのでしょう…不安)


何気なくパラパラとめくって読んでいくうちに、一瞬で当時の記憶が蘇りました。


モグラモグラモグラ

初発の頃はまだエビリファイ6mg スタートでした。

お薬を飲みさえすれば幻聴はすぐに消えると思っていた無知な私は、2回目の診察で医師に「幻聴が消えません」と訴えている模様真顔


医師に

「『お薬を飲んで幻聴が消えなかったとしても心配しないように』って言ってたでしょう?」と優しく嗜められたそうです。

(※全く覚えていない私真顔)


今なら

「たった6mgで消えるかーDASH!パンチ!

と思っちゃいますが笑い


そして全日制高校の入試。

入試の1週間ほど前から幻聴が頻発し、娘が極度に緊張していた様子が見て取れます昇天


緊張のあまりに、昼過ぎまで学校に行けなかった合格発表の日🌸


そして入学した全日制高校を頑張るうちに…


徐々に娘の雲行きは怪しくなっていきますネガティブ


保健室登校ばかりだったので、10月に欠課時数が怪しい教科が出始めました。


それから無理して教室で授業を受け始めます。


そして過呼吸発作を頻発するように…。


高校からの連日の呼び出しの日々が克明に記されています。


過呼吸発作が始まったことで、

まずは電車がダメになり🚃…

バスに変え🚌。

そのうちバスもダメになり…


この頃、(使えない)定期は二重になり、かなりの出費でした汗汗


そして遂に私の送迎が始まります🚗DASH!


仕事前に市内まで大渋滞に巻き込まれながら送り届け…

仕事を始めると今度はいつ呼び出しがあるか分からぬ日々…


因みにこの頃の私は、見るも無惨にやつれ果てていました悲しい


見るに見かねた母に

「そこまでしてしがみつく様な学校じゃないんじゃないか?」

と言われた事も記されていました。


いま思えば、どうしてそんなにあの学校にこだわっていたのか分かりません真顔


私立の専願で入ったとはいえ…


普通の人が経験しない大変な想いをして臨んだ入試です。


「あんなに頑張って入った学校だから」


私も娘も…

意地になってた部分があったのかな汗汗


ブタブタブタ

そしていよいよ娘の状態は深刻に魂


私への被害妄想が出始めます。


放課後に泣きながら「家に帰りたくない」と学校に舞い戻る日々。


そして私が迎えに行くまで、遅くまで保健室で保護されているので、先生たちも帰れず汗


本気で私に虐待されていると思っている娘は、先生たちに泣きながら訴えます。


学校前で車に飛び出して保護されたこともありました魂


そして遂には児童相談所へ通報される事態にまでなりました。


もう…


その頃の日記は私の字からも、状態の不安定さが滲み出ています叫び


文章も滅茶苦茶で、何て書いているのか読み取れない箇所も多数あせる


その中の一文に思わず目がとまりました。


宝石白もう限界…

どこかへ消えたい。

母親やめたい。


この時(11月)が極限かと思いきや…


この後、12月に遂に娘は1回目の再発をしてしまい地獄を味わうこととなりますドクロメラメラ


それに連動して…

私もまたかつてない地獄の日々へと突入していきます不安


地獄にまで行ってしまうと、「高校」なんてどうでもよくなるみたいです。


すんなり「転校」の運びとなり、私は色々な通信高校へと連絡を取り始めます。

(※娘、再発入院中の為、判断能力なし)


そしてようやく、現在の通信高校へお世話になることを決め…


その間、入院中の娘の状態は悪化の一途を辿ります魂


大量処方による激しい副作用により、自力で歩くことが困難になり…

面会に行くと車椅子になっていた衝撃的な出来事も記されていました。


あぁ…


読み返すだけで、当時の記憶が蘇り叫び


胸が苦しくなってきました悲しい


パンダパンダパンダ

娘の状態が落ち着くに連れ、私の毎日日記は記述が少なくなります。


そして…


ある時ふと

「もう毎日、娘の状態を記すのはやめにしよう!!」

と決意したことを覚えていますひらめき電球


やめようと思った理由は、


毎日毎日、娘の状態と向き合うことが辛くなったから?


いや…


毎日気にしなくてもいいくらいに、娘の状態が落ち着いたから??


いずれにしても、いまの私のスケジュール帳は真っ白です気づき


チューリップオレンジチューリップ紫チューリップピンク

結局、3年前のスケジュール帳だけは捨てる事が出来ませんでした。


なんというか…


「私と娘の大切な記録」だと感じたので。


暫くは大切にとっておこうと思います📕