黄色い花黄色い花黄色い花

ここのところ…

私の娘への対処があまりにも杜撰になってきていますちょっと不満


娘が発病して3年が経過。


初発の時も再発の時も、数ある娘の陽性症状の中に、私への被害妄想が含まれていました。


特に初発の時には、取り付く島もないほどに私への反抗心を露わにしていた娘凝視


幻聴が現れるまでは、主に私への被害妄想が主症状だったが為に…


私は本気で「思春期特有の反抗期」だと信じて疑いませんでした。


宝石ブルーもともとが口下手な上に、更に輪をかけてぶっきらぼうになる

宝石ブルー家には自分の居場所がないので帰りたくない

宝石ブルー父親に会えないのは母親(私)のせい


それらのほぼ私へと向かっていた被害妄想が総じて、希死念慮に繋がり…


リストカットが始まりましたガーン


娘の場合は、助けを求めたのが中学校の先生たちでした👩‍🏫👨‍🏫


(娘の中で)迫害を加える憎い母親が居る家に帰りたくはないので(怖くて帰れなかった?)

宝石ブルー毎日毎日、学校に泣きながら戻る。

宝石ブルー帰り道でリストカットしてしまい学校に戻る。

宝石ブルー泣いて先生に「家に帰りたくない」と訴える。


そんな状態が中3の7月終わりくらいから始まりました。


そして娘は、当時担任だった20代の女性教師に手紙を書いて助けを求めました。


手紙には、切羽詰まった娘の心の葛藤、叫びがしたためられていたそうです悲しい


そんな娘のSOSを、しっかりと受け止めてくれた当時の先生方には本当に感謝の気持ちしかありませんクローバー


本当に自ら命を絶ってしまうかもしれないほど、娘は(病気に)追い詰められていました。


そんな只事ではない娘の様子を心配された中学校側から、すぐに私の方へ連絡が来ました。


家でも娘の様子がおかしいことに、皆が気付いていました。

顔つきも変わり、なんだか話も通じないことが多く…。


ただ娘は、家では頑張って普通を装っていたのだと思われます真顔


何かよく分からないけど、明らかに様子が変わってしまった娘への漠然とした不安不安

あの頃の私は、まだ「ただの反抗期」と思っていたので。


「きちんと話をすれば娘は分かってくれる」


そう信じて疑いませんでした。


そしてほどなくして幻聴が始まり…


精神科受診で「統合失調症」の診断を下される事となったのです。


ヒヨコヒヨコヒヨコ

本来の私は、短気です真顔


基本的に我儘気質なので汗

堪え性がありません汗汗


離婚してから「短気」に更に拍車がかかった気がします。


まぁ…


(きちんとした両親のお陰で)何不自由なく育って大人になった私が、離婚する事になり…


娘2人を抱えて仕事をするという事は、相当なプレッシャーでした。


自分1人なら、もっと気楽に働けたのかもしれません。

もっと冒険も出来たかも。


勿論、仕事をする以上は「いい加減」等もってのほかですがDASH!


ただ妊娠、出産を機に「専業主婦」を6年ほどやっていた私が、急な離婚で職探しからいきなり始めなければなりませんでした。


実家の両親が居ますので…と言ったところで、下の娘が2歳というのがネックになり面接で落とされる日々汗

「急に休まれてもねぇ…」と明らかに不快な表情をされたりもしました。


「明日の生活費さえない」状態で、とにかく何処でもいいから!で必死で職探ししました。


今勤めている会社は、もう12年になります。

重いものを持ったりで、肩や腰や膝を傷める事はしょっ中で…


12年の間に何度か転職を考えた事もありましたが、

「変わった会社が良くなかったらどうしよう…」

そんな守りの姿勢になってしまい、なかなか決断出来ぬまま、今日まで働いてきました。


娘2人が居るので、

「失敗は許されない」とついつい考えてしまい汗


そのうちに私自身が歳を重ねてしまい、今度はなんだかんだで人間関係も良好な環境がラクになってしまいました(笑)


でも結果的には、娘が病気になってしまった事でDASH!何かと休みの融通がきく今の会社は有難いです。


流れ星流れ星流れ星

職場は基本、良い人ばかりなのですが。


パートとはいえ、ほぼ社員と変わらぬ仕事をしています。


大人しく言いたい事を言えないままでは仕事になりません。

それなりにストレスもかかります。


職場での自分の立場をしっかりと守る為には、男性社員と同じパフォーマンスを維持しなければ信頼は得られません。


意地悪なパートお局にも、凛として立ち向かわねばなりませんちょっと不満


だって私には後が無いのですから。


そんなこんなで必死に12年働き続けるうちに…


きっと私の「短気」は決定的なものになりました真顔


本来備わっていた「短気」に拍車がかかった感じ??


カメカメカメ

娘が発病するまでの私は、結構「厳しく」娘たちを躾けていました。


離婚した事で

「あの子は母子家庭だから…」

と後ろ指を指されるようなことはしたくない。


娘たちを立派に育てたい。


ただそんな単純な、でも切実な想いが私にはありました。


私の12年間は、ほぼ娘たちの為の12年でした。


少ないお給料でも、夏休みには旅行に連れて行ってあげたり。

休みは娘たちといつも一緒で。


私1人の時間なんて、ほぼありませんでした。


でもそれも後悔はありません。


私が自分がそうしたくて選んだ道ですから。


自分だけの時間を持つ事が、私にはどうしても出来ませんでした。


「娘たちが大きくなるまでは、しっかり寄り添ってあげよう。この子たちに親は私しか居ないのだから…」

そんな使命感が私を頑張らせてくれたのも、紛れもない事実です。


娘たちが大きくなれば、親との時間は自然と無くなっていくんだから…。


それまでは頑張ろう!!と思っていました。


長女は中学生になり、部活動が忙しくなりDASH!

土日も家に居ることがなく、部活に遊びに飛び回っていましたニコニコ


「成長と共にやっぱり親と出掛ける事も無くなっていくもんだな〜。寂しいな〜。」

なんて物思いに耽ったのも束の間…


中学3年で発病魂


長女の発病で、私の人生設計は大きな軌道修正を余儀なくされました。


長女が私から離れかけたのは、僅か2年間だけでした(笑)


発病してからは、休みの日も私と一心同体な感じでDASH!

何処に行くにもピクミン状態ですニコニコにっこり


そして高校生になった次女は、着実に親離れしかけていますニコ


最近では近所への買物でさえ、次女とはなかなか行く機会がありませんDASH!


星星星

最近、長女の調子が割と良いので…。


あんなに気を遣って娘に接していた私のタガが外れてきた模様真顔ダッシュ


ついつい素の私で娘と接してしまいます。


本来短気な私は、すぐにイライラしてしまい…


口も悪い私は思わず、娘にバッ!!と言ってしまいますピリピリ


娘闘病中の3年ちょいは、素の私を押し殺して生活してきた感があります。


昨晩も、今朝も…


思わず娘に強い口調で言ってしまいもやもや

(娘が涙ぐんでいた気がします魂)


でも娘もこれまた…

何とも間が悪いタイミングで、イラっとする一言を言ったりするのですピリピリ


やはり空気を読んだりが、病気のせいで苦手なことは重々分かっているつもりなのですがあせる


病気のせいばかりではなく、元々の性格的な要素もあるんじゃないかな?と思ったりもします大あくび

(割とマイペースちゃんだったので汗)


今までは、私の余計な一言でたちまち娘が不穏になる事が怖くて不安


私は不機嫌な娘の態度や言葉にも、自分を押し殺して対処していました。


勿論、娘には私を不快にさせているという自覚も悪気もないので…


※幻聴が酷くて耐えている時などが、恐らく周りに気が回らずに、そんな態度になっているのだと思われますネガティブ


ブタブタブタ

最近、仕事もキツくて身体もキツくて…


年齢を重ねてしまい、疲れも全く取れやしません魂


病状が落ち着いてきたからこそ、先の生活が心配で不安になり…


私の心はざわついています不安


少し安定して、活動的になってきた娘に対して(私が)油断しているという自覚もあります。


毎回、思わずキツい言葉を言ってしまった後に激しい後悔をする始末真顔ハッ


次女ならば、すぐに生意気な返しをしてくるのでお互い口喧嘩になってしまうのですがムキー


長女は申し訳なさそうに、小さな声で

「ごめん…」

と謝りますネガティブ


それが更に私の罪悪感に拍車をかけます。


私が想像出来ないくらい、辛い病気の症状と闘っている娘昇天魂


そして色々なことを頑張って頑張って乗り越えてきた娘です。


だからこそ、私はもっと娘を理解してあげるべきなのに。



恐らく娘の病状が酷かった時には、余計なことを考える余裕が全く無かった私不安


娘に素の自分で接する事が出来るようになったのは、余裕が出来た証なのかもしれませんが。


だからと言って、私の余計な一言で娘が不快な想いをするのは…

絶対に間違っています魂


いま一度、自分と娘を見つめ直して…


しっかりやっていかなければ!と猛省中ですちょっと不満もやもやもやもやもやもや