現在の娘の抗精神病薬の処方は、
オランザピン20mg
クエチアピン450mg。
クロルプロマジン換算では1000を超えています。
次々と副作用も現れ、副作用止めの薬も結構飲んでいます。
そしてその副作用止めの薬にもまた副作用がある、という負のスパイラル
手が震えたり、足がムズムズしたり、よだれが垂れたり、口渇に酷い便秘…。
娘は薬を早く減らしたいと毎回の診察で主治医に訴えていました
最近は副作用の症状の方が娘を悩ませていて、副作用止めの調整も迷走していました
週3回ペースの幻聴はあるけど、ここ最近は状態が安定している娘
発症して3年…。
今まで幻聴が消えてはいないので、この先、幻聴を0(ゼロ)にするというのは難しいのかもしれない、と言われました
その事を踏まえた上で…
取り敢えず、クエチアピン450mgのうちの50mgを抜いてみる事になりました。
最初の1週間で夜の25mgを抜きました。
幻聴ペースは変わらず。
調子も大きく崩れない代わりに、不快な副作用自体も変わらず…。
次の1週間で昼の25mgを抜きました。
木曜日から計50mgのクエチアピンを抜いて3日目の日曜日に事態は暗転しました
日曜日の夕方18時半頃…
キッチンで私は夜ご飯のおかずを作り、娘はテーブルで勉強をしていました。
すると急に娘が、
「ママ…なんかヤバいかも…。怖いんやけど嫌だ、怖いよ…」
と私に助けを求めてきました。
娘のただならぬ様子に私も怖くなり、
「なに?幻聴?幻聴なら早く頓服飲み!」
と言うと、
「幻聴じゃない」
と娘
誰かに耳の周りを触られている感覚がする…と
発症して3年で初めて聞く症状です
「嫌だ、怖い。気持ち悪いよ、ママ…助けて…」
と泣き出した娘に、取り敢えず頓服を飲ませました。
ゆっくりするように言って、2階のベッドまで連れて行くと、娘は突っ伏して泣き出しました。
「怖い、怖い…。もう嫌だ…」と
娘が酷い再発をした時は、2回とも入院中でした。
初発の時には私への被害妄想が酷かった為に、決して私の前では弱音を吐かなかった娘
入院中に、どんなに幻聴が酷く辛い時でも私には心配をかけまいと(面会中は)気丈に振る舞っていました。
なので、私は初めて目の前で泣きじゃくる娘を目の当たりにしたのです
内心、新たに出現した症状に動揺しまくっていたのですが
内心の動揺とは裏腹に、自分でも驚くほど冷静に娘に話しかけている私がいました。
「大丈夫よ、いま頓服飲んだけん落ち着くのを待とう。減薬するってそういう事かもよ?先生も、幻聴が増えたりするのは当たり前だから心配し過ぎないように、って言ってあったやん?」
娘は少し落ち着きを取り戻し、
「また病気が酷くなると思って怖くなった久しぶりにこの病気で泣いた」
気を紛らわそうと、暫く2人で話しました。
入院中はよく泣いていたこと。
看護師さんにお話は聞いていたので、分かっているつもりではいたのですが…
私は改めて娘の闘病の過酷さを思い知りました。
すべての源である思考の部分を攻撃される辛さというのは、いかばかりかと…。
僅か17歳になったばかりの娘が、どれだけ孤独な闘いを強いられてきたのかと…。
目の前で泣く娘を前に、私は倒れそうになるくらいの絶望感でいっぱいになってしまいました
1時間くらいすると頓服が効いてきたのか、触られる感覚は無くなったそうです。
そうなるとやはり「陽性症状」の一種なのか??
早速スマホで検索しました。
「陽性症状」は、五感のすべてに起こり得る…らしいです。
代表的なものが「幻聴」なのであって、「幻視」「幻味」「幻臭」…
そして「幻触」
ここにきて、まさかの「幻触」出現
その検索結果を娘に伝えると、娘は絶望していました
なんで次から次へと新たな症状が出現するのか…。
次の日からも毎日「幻触」は現れるようになりました。
そして相変わらず「幻聴」も
頓服を日に2回飲んだ日もありました。
そんなこんなで今、娘はまた能面のような顔つきです
私は仕事を休むわけにはいかず、仕事中も娘の様子が気になって仕方がありません。
私が居ない間、不安感とも闘っているだろうと思うと本当に側に居てあげられない事が申し訳なくて
待ちに待った私のお休みの日は、気晴らしに外に連れ出しました
ピエトロでランチを食べました🍝
本当に状態が悪い時には、お店に入れなかった娘
お店に入れて、美味しくごはんを食べられた
まだ大丈夫なのかな?
本当に分からない私
だけど…
また娘の状態が悪くなったら、果たして私のメンタルは耐えられるのだろうか
耐えられる、耐えられないにかかわらず、そうなってしまったらまた耐えるしかない事も重々承知なのですが…
新たな症状出現が「悪化」ではない事を祈り続けることしか私には出来ず
次の金曜日の受診日までが遠く感じられます