娘の単位認定試験も無事に終わりました
試験は2日間。
どちらの日も開始早々、幻聴に悩まされてはいましたが
幻聴歴も3年目の娘
以前のように、泣きながら教室を飛び出すでもなく…
全ての試験を時間いっぱい受けることが出来ました。
娘曰く…
「なんで最初の頃は、あんなに泣きながら教室飛び出しよったんやろ?
今なら軽く無視できるもん…」
「慣れ」とは凄いなーと妙に感心してしまいました
高校入試の日…
「どうか終わるまで幻聴が起きませんように!!」
と、保護者控室で胃が痛くなりながら祈り続けた私
本当に私が倒れそうでした
祈り虚しく、残りあと15分で泣きながら保健室に退室した娘…。
面接も、保健室で受けて帰ってきました
「今なら余裕で受けれるよ」
本当に成長(?)したものです
今回のテスト結果は本当にすばらしいものでした
なんと、人生初の100点満点もありました💯
病気になるまでは勉強が大嫌いで、塾もイヤイヤ行っていた娘
そんな状態で成績が良いはずもなく
病気になり、勉強したくても出来ない状態に陥って初めて…
娘は「勉強出来ることの有り難さ」に気付いたみたいです
退院してきてからは、一日中勉強をし始めました。
まるで何かに取り憑かれたように……。
娘は今回のテスト
並々ならぬ緊張感で臨みました。
「あんなに勉強したのに結果に繋がっていなかったらどうしよう…」
と心配しかしていない娘に、
「大丈夫よ!だってあんなに勉強しよったやん??」
とは言っていたものの……
私もかなり心配していました
初めて酷い再発をした時に当時の主治医に言われた言葉が、忘れられません。
「認知機能の低下は覚悟してください。
今までのような生活の質は保てないかと思われます…」
私はショックで呆然としました。
あの時の診察室の景色を何故だか今でも覚えています。
なかなか娘が障がい者になった事を受け入れられずにいる私がいました
退院してからも、認知機能の低下は娘を苦しめていました。
どんなに勉強しても頭に入らない…といつも嘆いていました。
自分は物覚えが悪いから、と沢山沢山、紙に書いて必死で覚えていました。
その努力は凄まじいものでした。
だけど…
果たしてその努力が実を結ぶのかどうかはまた別問題です。
それがやはり病気であるということで
娘のテストが終わるまで、私は本当にヒヤヒヤしていました
あれだけの努力をして、悲惨な点数だったら娘は立ち直れないかもしれない…
でも心配は全くの杞憂に終わりました
受けたテスト全てが、高得点でした
娘は大興奮で、私は肩の荷が一気におりたような安堵感に包まれました
診察の時に主治医にテスト結果が良かったことを話しました
なんと100点満点があったことも‼️
主治医はとても驚かれました。
「認知機能の低下等があるのに…本当に凄いことですよ〜」
「相当に努力をしたんでしょうね…」
私は診察室で泣きそうになりました
そして先日、下の娘の部活動が終了。
私は娘が入院していた2年前に、それどころではないというのに役員決めのくじ引きで見事に引き当ててしまい
本当にそれどころではないのに、役員仕事を頑張りました
先日の夜、ようやく引き継ぎが終わりました
次の役員さんに資料の束を全て引き渡して…
何とも言えない解放感を味わいました(笑)
その日のお酒が美味しかったこと
そして…
2ヶ月前に歯が痛みだし、歯医者に行きました。
私は虫歯がないのが自慢で🦷
50歳目前にして、治療した歯はゼロでした。
それに胡座をかいて、歯磨きも適当にしていた感は否めませんが
きっと年齢的なもの➕娘の病気によるストレスが歯を急激に蝕んでしまった原因なのでは?!と…
歯医者には縁がなかったが故に、私は極度の歯医者恐怖症です
今回、歯が疼き出し決死の覚悟で歯医者へ行きました
まさに10年ほどは歯医者を避けて生きてきました
結果…見事に虫歯になっており
まぁ、あちらこちらにチラホラ次から次へと虫歯発見され
気がつけば2ヶ月…。
毎週、麻酔をかけられて歯を削られ…
そんな日々がようやく終わりを迎えました〜
合計7本の虫歯
「とりあえず今日で終了です!」
先生の言葉を聞いて、思わずガッツポーズをしそうになりました
これからは定期的なメンテナンスにきちんと通おうと心に誓いました
娘の最大の山場であったテストも無事終了。
役員仕事も終了。
私の歯医者も終了。
なんだか立て続けに、身の回りの面倒事が片付いてきた感があります
少しずつ渋滞していた道路が流れ出したような…
そんなスッキリとした感覚があり、もしかしたら良い方向へ向かってる??と勝手に思っています