娘の状態が(やや)落ち着いてきた今…
私はよく発病当時の事を思い返すようになりました
(いま思えば)明らかに様子がおかしかった娘に、何故気付いてあげられなかったのか。
この病気の知識が全く無かった自分自身を今でも責めてしまいます。
娘は幻聴が始まるまでに2ヶ月はありました。
あの時点で病院に連れて行っていれば…
発症せずに済んだのかもしれない…。
中学3年の部活が終わった8月
受験に向けてまっしぐらになったあの時期
様子がおかしくなり始めた娘の事を、私は「思春期特有の反抗期」だと捉えてしまいました。
恐らく娘の中では、前駆症状特有の得も言われぬ恐怖心…
夜も眠れず、追い詰められて…
自分の中の根幹を揺るがす非常事態は、想像を絶する心情だったと(今なら)分かります
最初に私が感じた異変は、まさに「反抗期」でした。
娘は小さい頃から本当に育てやすい子で…
今にして思えば、言いたい事を飲み込んで「我慢」出来る子だったから、育てやすかったのだと分かりますが
だからこその発症だということも
それが、あの夏…
娘は私に対して明らかに「反抗的な態度」を示し始めました
元々口数の少ない子ではあったのですが、明らかに目も合わさない、喋らない
顔つきもキツネのようになっていました
そして始まった帰宅拒否🏠
リストカット
学校の先生への家庭の相談…
娘は当時の中学校の先生(複数人)をとても信頼していました。
なので、恐らくもう始まっていたであろう被害妄想(家庭環境に関する事)による不信感、不安感を全て学校の先生に相談していました。
いま振り返ってみると…
だからこそ救われた部分もあると思います。
誰にも相談出来ずに居たら、娘はそれこそ自殺していたかもしれない…。
それほど緊迫していた時期でした
「小さい頃に手がかからなかった子は、思春期の反抗期が大変」
よく私が耳にしていた言葉です。
私は(明らかに病的な状態の)娘を前に、
「これが例の大変な反抗期か〜受験前の今頃…勘弁してよ〜〜」
くらいに思っていました。
私が離婚したのは娘が小学校に上がる年でした。
度重なる女性問題が大きな原因ではあったのですが…
お金にも無頓着だったし、とにかく色々な面でだらしない人で
ギリギリまで耐えましたが、最終的な決断は
「害にしかならない父親なら居ない方が娘たちの為…」
子供たちの生活を脅かす父親なんて、マジでいらない
私は強くそう思いました。
私なりに「娘たちの事」を一番に考えての決断でした。
娘たちにとって離婚がデメリットにしかならないのであれば、私はきっと自分1人が我慢する道を選んだと思います
離婚理由が年頃の娘にはデリケートな問題だよな〜と思ったので…
私なりに考えて、詳しい離婚理由は娘たちが高校生くらいになって…
彼氏なんかが出来るくらいの年(そういう事が分かる年)になったら…
「その時はきちんと話そう」
そう決めていました。
決して「隠していた」つもりではありません。
「まだ話せなかった」のです。
それなのに…
娘の被害妄想の矛先は私に向かいました。そしてあの父親とは名ばかりの碌でなし元旦那は「美化された父親」として、娘の中に存在する事になりました
そして、娘の脳の中で何がどうなったのか…
「親が離婚したのは自分のせい。自分の事で両親が喧嘩しているのを見ていた」
等と、学校の先生には泣きながら相談していたらしいのです
それで
自分をひたすら責める→リストカット
「パパに会いたい…」
「ママのせいでパパに会えない」
その当時、しきりに先生に訴えていたようで…
学校の先生からの私への最初の電話も、その件に関してでした。
その時に電話をくれたのは、社会科の30代のまだ独身の男性教師でした。
娘がよく相談していた先生の1人です。
娘と話し合い、娘の了解を得た上で…
娘が塾に行っている時間帯に電話をかけてこられました📱
この時点で、私も先生も、まだ娘が病気の前駆症状だとは全く気付いていません。
話が話だけに…
先生も私に対してすごーく気を遣って話を切り出されたのを覚えています。
毎日毎日、家に帰ろうとして帰れずに学校に舞い戻り…
「パパに会いたい」と泣き…
「家に居場所がない」とリストカット…
先生方はどうにか娘を助けようととにかく必死だったと思われます
中学生の子がこんなになるまで追い詰められて…
先生方からしてみれば、会ったこともない、話したこともない私(母親)のイメージはどんなに酷いものだったかなーなんて思います
まぁ…
あの日の電話は今でも私はよーく覚えていますが(笑)
私は取り繕ったりはせずに、正直に全てをお話ししました。
離婚の経緯。
娘には時期が来たら話すつもりだったこと。
元旦那とは色々な諸事情を踏まえて、会わない方が娘の為だということ。
最初は緊張が伝わるほどだった先生も、電話の途中からは、私の話にも激しく同意をしてくれたりなんかして
そりゃそうですよね…
学校の先生とはいえ、家庭の事情に首を突っ込む…なんてこと。
「娘を助ける為」じゃなければ、避けて通りたいと思います
私が気難しいしっかり者の母親なら…
「そんなこと、なんで先生に言われなきゃいけないんですかっ
家庭の事に首を突っ込むのはやめてください‼️」
なんて一方的に電話を切られる可能性だってあったわけで(笑)
そして先生と話し合った結果…
私の方から娘に全て真実を話す事になりました。
そして後日、娘には「本当の父親の姿」を包み隠さずに伝えたのですが…
その時もまぁ大変でした
車から降りて、学校に泣きながら舞い戻り…
でもその時には、担任の女性教師が丁寧に
「お母さんが一番辛かったんだよ。」
「離婚したのも全部、お母さんの優しさだったんだよ。」
という事を混々と娘に話してくれて、娘の私への敵対心を随分と無くしてくれました
だけど…
とにかく全てが間違っていた気がします
だってあれは反抗期じゃなかったのだから。
病気の前駆症状でただでさえ混乱している娘に、いくら真実だからとあれやこれやと「父親情報」を伝えても更に混乱の渦に巻き込んでしまっただけだったのでは?と後悔しかありません
でもあの時は本当に、分からなかったのです
私だって…
なんで学校の先生にまで、人生の汚点である離婚の事細かい経緯を話さなければいけなかったのか…
あの頃は本当に娘の状態が心配でたまらず…
先生方にありのままを話した後も、平気で学校に迎えに行ったりしていましたが(とにかく必死だった)
冷静になった今…
下の娘の用事で中学校に行くのが本当に恥ずかしいです
そんな「まるで思春期特有の反抗期」状態が2ヶ月ほど続き…
幻聴が現れて、遂に娘の病気が発覚しました