今年の春、血液検査で『前立腺癌』の疑いがあると言われ、精密検査を受けました。
検査の結果、前立腺癌があることがわかりました。
でも、昨日までの僕と、癌を告知されてからの僕とでは、お医者さんから貼られた『癌患者』というラベル以外、なにも変わってはいませんでした。
『癌患者』というラベル。
癌を身体の中に持っているには違いないけれど、りこちゃん(長島由利子さん)が常々言ってくれているように、
「病気だからといって病人である必要はない」
という言葉が、ものすごくしっくりと腑に落ちました。
幸いなことに『癌』であることの自覚症状はなく、身体が『癌』というものを使って僕に気づきを与えるために、いわば『最後通牒』を突きつけてくれたということのようです。
治療方針を決めていく中でMRIを取っていただきました。
放射線科の先生の診察を受けたとき、そのMRI画像を見て
「鼠径ヘルニアがあるよね、先にそれを治療したほうがいいよ」
とアドバイスを頂きました。
気持ち悪さと時々の痛みをずっと我慢し続けていました。
手術が怖いというのもありましたが、本当のところは、いわゆる首下がり症という症状で大の字になって寝られなくなっていて、手術のときと術後の姿勢に対する不安に負けて我慢を選択し続けていました。
そのとき、
“受け入れよう"
いまこの【場】にあること、"『用意されたこと』を受け入れてみよう"
と思ったのは、
「もう、それは限界だよ!」
「いま直さないと、ずっと我慢し続けないといけなくなるよ。」
「それで本当にいいの?」
っていう、『本当の自分』の声が聞こえたからかもしれません。
いま、まだ何も起きていないのに心配してるより、
"『受け入れてみよう』だめならその時先生に相談すればいい。心配していることはまだ何も起きていないのだから、『行動を止めなくてもいいんだ』と思えました。"
"いまに安心していればいい”と『決めること』、
『覚悟すること』なんだなとも思うようになりました。
りこちゃんに手術中にヒーリングを送ってもらうことをお願いしたり、辻耀子さん初めレイキ仲間にレイキを送ってもらうことを依頼したりして、こころを少しでも落ち着かせ、優しく自分で寄り添うことをひたすらやりました。
病室から、仲間や友達にLINEを送りまくり、返事をいただくことですごく安心をもらいました。
病室のベッドで【一人だけれどひとりじゃない】を感じたり、やさしく温かい世界に居ることができました。
手術の前日病室から虹が見えて妙に安心したりしました。
手術当日、手術室に入ると主治医の先生と10人近いスタッフの方が僕一人のために集まってくださっていました。
もうそれだけで感激・感動してしまい、
"預けよう、委ねていいんだ"と思えました。
"『用意されたこと』を受け入れてみよう"
"委ねていいんだ”
と思えたこの経験は大きかったです。
そして手術を終えて病室に戻って目が醒めたとき、『生きていること』
大いなるものが『生かしてくれたこと』に
ただただありがたく、
生きてることの歓びに感謝していました。
ありがたいことに手術をした日の夕方くらいから、もうスマホを使えるようになっていました。
仲間や友達に無事手術が済んで病室に居ることを伝えると、「良かったね!」という返信をいっぱいもらえました。
前立腺癌が見つかったからこそ味わえた、尊い経験でした。
たくさんの【ある】を見ることが出来ました。
あの手術の前後に感じた・見た【ある】を思い出すことができる。
そこに【戻ろうとすること】ができることはとても大切なことを教わった経験だと感じています。
今回の手術前後で【決めること】そして【受け入れること】で、目の前の出来事に対する【認識(どう認知しているか)】で、見ている現実が変わることを実感できたように感じています。
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