薬剤師の資格を持ち医療の現場で働いていました。
現在は日本に受け継がれてきた文化のひとつ【伝統発酵食】の講師をしています。
醤油・味噌・納豆・醤・ミキ・酵素・玄米酵母… これらすべて唯一無二、おいしく 誰でもつくることができます。
それらを仕込み発酵熟成を見守る過程は人間の力だけでは成し得ない【宇宙との共働創造(肉体の自分ひとりで創造するのではなく、宇宙の叡智を用いて現実を創る)】です。
その方法から、見えない世界に想い馳せ、命を慈しみ、本質で生きることをお伝えしています。
わたしのテーマは【命(いのち)】です。
このテーマをRADIOでお話しようと決めてから、迎えた2024年。新年から感情が揺さぶられるような出来事が起こりました。
命について言及することはとてもセンシティブな側面もあるタイミングとなりました。
そのような中ではありましたが、わたし自身の経験から、ずっと感じてきた命や生きること、死ぬことについてお話しさせていただきました。
命の長さ、思いも寄らない病や災害、事故等理不尽に思えること、様々な環境、状態で宇宙(そら)へ還ることの意味…
そのことから『わたし』は何を受け取り、どう捉え、そして自分の意志で何を選ぶのか?
自分に問いを沢山投げかけてきました。
『本質で生きる』と言われる新
時代、自分自身の感情、深いところで何を感じどんなエネルギーを放っているのか、ごまかしがきかないフェーズに入った感覚があります。
りこさんのオリジナルソングの【結(ゆわえ)】に歌われているように、わたし達は宇宙(そら)で交わしたノンフィジカルな魂である【本当のわたし】との約束があり、それを果たすために生まれてきたのだと。
肉体を持って生まれてくるとき、多くの人はそのことを一度忘れ、肉体をもって命を生きながら沢山の体験をし、感情を味わうのではないでしょうか。
生きているからこそ、時に苦しく、絶望し、繋がりを感じられなくなり、時に自ら宇宙(そら)へ還りたいと願ってしまう事もあるかもしれません。
わたし自身その衝動を何度も感じてきました。
例えどんなことが起きたとしてもすべて、今、生きているからこそ感じることのできる、尊いもの。
17年前に宇宙(そら)に還った子どもたちのことも、心身に残った引き裂かれるその痛みの感覚さえも含め、わたしの中に尊い存在としてあることを感じられるようになり、亡くなることも【愛】だと受け取りました。
生や死から何を受け取って生きていくか。
全てを俯瞰してみたとき、わたし達は大いなる【命(いのち)】の循環の中にいる。
形は変わっても終わりがないと感じることができる。
肉体の死は触れられない寂しさ悲しみはもちろんありますが、魂は永遠という事を知り、個としての存在ではなく、大きな繋がりを感じている今があります。
りこさんがお伝えくださったように、『寿命』という言葉は、長く生きて穏やかに亡くなる状態だけのことではなく、どんな命も宇宙(そら)に還ることが赦されたからこそ『寿』なのだと感じます。
死をかわいそうなものとせず、『祝福されて還る』という見方を見送る側・受け取る側がした時に、生きることと還ることはどちらも【愛】となります。
すべて宇宙から【祝福】されている対等なことだと。
様々な見解、想いがあることとおもいますが、それが本質なのではないかと感じます。
りこさんのセッションを受け続け、仲間とお稽古を重ねる中で確かなものとなりました。
RADIOでは今日の幸せレシピとして
生きることも死にゆくことも。それはあまりにも愛しく、苦しく、あったかく、寂しく、全ての感情を切なく内包する。
命を持つ魂が、肉体を持つ『人』としての、恵みなのだと。
終わりがあるからこそ、愛しく、切ない。そう思えたら人はしあわせ、と言えるのではないかな。
とお伝えいただきました。
今肉体を持ったわたしは何を選び、それに基づきどう行動して生ききるか。
RADIO出演をきっかけにさらに深めています。
発酵文化から学んだ【お米磨ぎ (おこめとぎ)】をこれまで大切にしてきました。
愛おしい手のひらの感覚を思い出し
お米 ひと粒ひと粒の命に触れ
命の繋がりを感じ
お米を磨ぐ
『命を慈しむ』
『見えないことに想いを馳せる』
このかけがえのない時間を通して、テーマである【命 (いのち)】をさらにお伝えしていきたいという願いが生まれました。
【命のお米磨ぎと発酵料理講座】にてお伝えさせていただき、日々 実践しています。
愛おしい存在たち、生きとし生けるもの… すべては『繋がっているよ』と応援してくれているのを感じます。
宇宙(そら)に還るとき、心から祝福しあえることに想い馳せ、共に今を生きたいです。