2005年のショパン・コンクールに行ってよかったことはたくさんある。そのうちのひとつは、ようやくポーランド人優勝者が出るかも、という期待を持って地元熱が高かったことだ。期待通りにラファウ・ブレハッチが優勝したのだが、彼のコンクールでの演奏を生で聞くことができたのは、私が自分の耳を育てる上でとても貴重な経験であった。ポーランド人を納得させるショパン演奏というものを知ることができたのだ。
それと同時に、コンクールというものの難しさ、生臭さというものも体験した。2005年はそれまでとは違って、はじめて現地で予備予選が行われ、1次予選の時点で45分間のプログラムが課題となっていた。エチュードやノクターン、バラード、ワルツ等の指定された選択曲によって構成されている。私は1次予選のみを聴いたのだが、この審査結果がいきなり「スキャンダル!」と報じられたのだった。その内容は、タチアナ・シェバノワの息子、スタニスワフ・ジェヴィエツキが1次予選で落ちたことである。ブレハッチの演奏の日とジェヴィエツキの演奏の日のみが1次予選で満席となっていた。ジェヴィエツキの演奏は、1次で落ちるほどではなかったし、実際そのスター性はブレハッチを上回っていたと思う。それでも落とされることがあるところがコンクールの難しさである。その後の2010年、2015年でも同様であったが、有力ピアニストをさっさと落としてしまう時がある。それに選ばれる、つまりはババを引かされるということは、コンクールではよくあることなのだった。とはいえ、最終的にブレハッチの優勝は、いわゆる典型的なショパン演奏を示すよい例となったし、それによってショパン・コンクールはまた新たな道を歩み始めたきっかけとなったのだから、ブレハッチの優勝に賛成している。彼の作品と真摯に向き合う姿勢が好きだ。しかし、明らかにイム・ドンミンよりも確実な演奏をしたイム・ドンヒョクは、ドンミンと共に兄弟並んで第3位、山本貴志と関本昌平のふたりの日本人は共に第4位という結果となり、話が出来すぎ、という印象は否めなかった。しかしながら、その翌年行われた浜松ではそれを上回る出来レースが展開されたので、コンクールというのはそういうものなのだろう。
このコンクールで、大切な3人の友人ができた。一人は毎日隣の席に座っていたお婆さんのエヴァ(お互いに通しチケットを持っていた)、飲み屋で知り合ったドイツ人、同じホテルで朝食が一緒になり、それ以降ショパン作品の演奏会に一緒に行く機会が多いKさんである。彼らとの出会いが、また翌年のヨーロッパ行きにつながるのであった。
