2年半入院していた母が3月3日に亡くなりました。


月曜日の出来事です。

その日は泌尿器科の診察のため朝から市内の病院へ行った。


診察終了後、なんか胸騒ぎがして、

「母のところに寄らなくちゃ!」といった気持ちに駆り立てられた。


昼食を病院近くのお店で食べて、母の入院している隣の県の山奥の病院へ行った。


病室に入ると母は酸素マスクをして荒い息遣いで眠っていた。

いや、眠っていたのではなく、意識がなかった。


看護師さんから、

今朝から呼吸の状態が悪いこと、熱が39.7度もあったので座薬を入れて少しずつ解熱してること、さっきCTを撮ったので、後ほど主治医から説明がある。という説明を受けた。


主治医のM先生に呼ばれた。

CTのフイルムを見ると、肺が白い。


肺の半分くらいに水がたまっている、自分の唾液で誤嚥性肺炎を起こしていることなど、説明された。


延命治療に対する確認も行われたので、


痛いことやしんどいことはしないで、もう80歳を過ぎているから、万が一のことがあってもそれは寿命だと思う。という私たちの考えも話した。


健康な人なら95%以上あるサチュレーション(血液中の酸素飽和度)が85%前後まで落ちていった。。


「しんどいよなあ~」と看護師さん。


「せめて90%はほしいですよね」と私。

酸素量が増やされた。それでも、1分間に50回近く呼吸していた。


いつもは1時間ほどの面会だけど、このまま夜まで母の側にいたほうがいいかな?どうしようかな?と迷った。

しかし、飲食物が水しか持っていなかったので、とりあえずいったん自宅へ戻った。




16時ごろ、「はあ~~、疲れたなあ。」とテレビのスイッチを入れてコーヒーを飲んだりしていたら、

携帯が鳴った。


病院に泊り込む覚悟で、まずは腹ごしらえと、早い夕食を食べた。下着と薬、お茶をバッグに入れて病院へ向かった。



18時前に病室に着いた。

母は個室に移っていた。


看護師さんたちはちょうど帰る時間帯。

担当の看護師さんが(若いお兄ちゃん)が肩にバッグをかけて、帰る前に母の様子を見に来てくれた。母に色々と話しかけたあと、


「今日はもう帰るけど、また明日な!」と言って母の手を握った。

ここのスタッフの方たちは意識のない母にもちゃんと話しかけてくださる。


夜になると窓から隙間風が入ってきて、窓際のソファに座っていると冷える。


泊り込むか22時ごろまでいるつもりだったけど、この病院には家族が泊まる部屋や寝具はないし、売店も昼間お菓子を売っているだけだし、山奥で近くにコンビにもカフェもない。


手足が冷えてレイノーが出てきて、手袋をはめていても手が痛い。


母の側のこのソファーで寝たら、

確実に風邪ひくか、体調を崩す!と確信が持てた。


尿がすでに出なくなっているのが気になったが、


食事の問題もあるし、交通機関も20時過ぎが最終バスなので、


最終バスで帰って、病院の近くのホテルに飛び込みで泊まれるようなら泊まり、無理なら帰宅し、

また明日の朝、出来るだけ早く来よう!と思った。


暗いバス停からバスに乗り、駅前に着き、今度は電車に乗り換え。

電車に乗ってしばらくすると、携帯が鳴った。


電車内だけどこっそり通話した。


「今、当直の先生にも診てもらったのですが、かなり厳しい状況です。血圧も下がってきてます」


「わかりました。戻ります」


またまた、Uターン。


もうバスはないのでタクシー飛ばして母の病院へ。


病室に着くと、白い顔の母。すでに心臓が止まってました。


自分の聴診器をバッグに入れていたので、自分の耳で確認しました。


看護師さんと先生がナースステーションのバイタルモニターを見せてくれました。

(病室にはモニターは置かずナースステーションで監視)


看護師さんが、母とこんな話をよくした。母がこんな話しをよくしていた。という内容を教えてくれた。


夜なのでナースは2人しかいないのに、ほんと、お気遣いいただいて有難うございました。



わかっていないだろうな。と思っていたいろいろなこと、母はちゃんとわかっていたんだ。

覚えていたんだ。

耳の悪い私は母が何を話しているのかわからないときが多かったけど、ナースはちゃんと聞き取れていたんだな。




義兄が到着後に死亡確認をして、その時間を死亡時間としてくれた。


看護師さんと一緒にエンジェルケア(天国へ行くための最後のケア。体を清めたりします)をした。


床ずれが出来ることもなく、きれいな肌だった。

「床ずれができることもなくケアして頂いて本当に有難うございました」と言うと


「ご自分で寝返りされてましたから」と言われたが、それでも、度々体位交換して下さったし、最後まで入浴もしていただいたので、ナースの看護力もあると思う。


お化粧は私が施した。

「私とお揃えにしようね」 と私が持っていた口紅を塗った。


心臓マッサージはしない、経鼻栄養はしない。胃瘻の造設はしない。など延命治療はいっさいしなかったが


安らかないい顔でした。



もう天国でお父さんと再会したかな? お母さん!お疲れ様でした。