核シェアリングは、あくまで補助的手段として | 日本國人

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令和元年・紀元2679年10月1日開始。

 ロシアが、核兵器を恫喝に用いつつ、ともとれる言動を伴い、ウクライナへの攻撃を續けている。いつも好戦的だった、虐殺主義野蛮国家アメリカも、ロシアに對しては、すっかり及び腰、というより、腰が抜けてしまっているようで、経済制裁、おっかなびっくり離れた所に軍勢を派遣したり、武器援助、位にて、茶を濁している現状だ。

 さて。日本政府は、早々にウクライナ支持を表明してしまった。そして、今囘のウクライナ事変、防衛面でも大きな議論を巻き起こしている。岸田政權になり、敵基地攻撃能力が堂々と議論されるようになったが、今囘はさらに、”核シェアリング”について、いろんな声があがっている。火をつけたのは、安倍元首相のようだ。それを受けて、日本維新の会なども、議論すべきと主張している。防衛の議論が前向きに暹んでいることは、大變結構なことだ。しかし、この核シェアリングというのは、どうであろうか。

 これは、アメリカの核兵器を日本に設置する、ということのようだ。しかし、管理はアメリカが行うというのである。日本に、これまでは表向き無かった核兵器が堂々と置かれるようになること。これは、敵性外国に對してはいくぶんかの圧力にはなるかもしれぬし、日本人が核兵器に慣れるという意義もあろうか。しかし、抑止力という觀點からは限定的だろう。少なくとも、プーチン大統領相手に通用するとは思えぬ。

 プーチンが、今囘のような調子で、アメリカよ、本當に核戦争をやるのか?、とアメリカを恫喝した場合、アメリカが日本を守るために、ロシアからの報復にて自国で億人單位の犠牲者が出ることも覚悟のうえでロシアを核攻撃するか?。しないだろう。それを今囘、アメリカはプーチンに示してもしまった。

 つまり、核シェアリングだけでは、ダメだ。あくまでも、日本獨自の核兵器を開發、製造して装僃する必要がある。好き好んで使うことは無くとも、いざという時には使う覺悟をもって、だ。そうしなければ、支那から尖閣や臺灣を守ることも、北方領土奪還も、おぼつくまい。惡くとも相討ちとなる僃えと覺悟を持ってこそ、プーチンのような尋常ではない指導者と對等な交渉ができるというものである。

 しかし、核シェアリングも、今現在においては、全く意味が無いというわけではあるまい。最終的には自前の核戰力を整える必要があるとはいえ、本格的な核武装には、時間もかかろう。ロケットに核廢棄物プルトニウムやら広島型原爆を装着したものなら、今すぐにでも作れるかもしれぬが、水爆や、發射母體たる原子力彈道彈濳水艦等を開發・製造・建造するには、年單位の時間もかかろう。それまでのつなぎとして、核シェアリングを利用する。これは無意味ではないかもしれぬ。

 核シェアリングは、あくまで、自前にて核武装を暹めつつ、その補助として利用すべきものであり、これにだけに頼っていても、抑止力にはならない。

 

紀元二六八二年 令和四年 三月二日