病院當直の今昔 | 日本國人

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令和元年・紀元2679年10月1日開始。

 ある程度以上の病床がある醫療機關病院であれば、必ず夜間當直醫師が居る。これは當然だ。患者の中でも、病状的に家庭では安全な療養生活を營むことが難しい、すなわち、夜であろうと、專門的醫療行為が必要となる可能性がある患者が、入院治療の適應になる、というタテマエになっているのだから、病院には、夜間でも常に醫療行為が行える醫療従事者、すなわち醫師が居なければならない。

 夜間當直醫師が必要なこと、これは、どんな過疎地の病院であろうと、醫師が少ない病院であろうと、例外ではない。しかし、現實に、醫師が少ない病院は、この當直醫確保が、本當に大變である。院長以下全常勤醫師が當直しても、常勤醫師だけで當直をまわすだけでは足りず、非常勤で當直だけをする醫師を雇う病院もある程だ。

 日本國人も、若かりし頃の昔は、常勤病院の他に、遠く離れた地方の病院へ、單發の當直勤務に行っていたものだ。多くは、先輩醫師や同僚醫師からの、頼まれ仕事である。

 日本國人のような精神科醫師が當直する精神科病院は、過疎地の中でも、驛や空港近くの便利な場所には無い。驛や空港からは、遠く離れ、バス路線はあっても、まばらにしか來ないから、驛や空港からは、タクシーで行くしか無かった。もっとも、タクシー代も飛行機代列車代も、交通費は全部病院持ちである。

 そして、そういった病院は、院長はじめ、職員の方々は、若僧の醫師に對しても、皆親切だ。病院に着くと、「遠いところから御苦労様です。」と、當然のごとく、茶菓子が運ばれてくる。さらに、本當はいけなかったのであろうが、冷蔵庫には、”当直の先生、どうぞ。院長。”の書き置きとともに、麦酒等の酒も入っているのだ。時には、まだ残っていた常勤の先生と、醫局で宴會になることもあった。普段は奴隷扱いの研修醫等には、破格の待遇である。今は許されぬであろうけれども、おおらかな時代もあったことだ。

 當直料も、都會の病院の倍位もらえた。しかし、それだけの當直料を出しても、來手はなかなか居ないらしく、一度當直に入ると、毎月毎週のように頼まれることになるのである。そして、それじゃあと、連續して行き始めると、それを辞める時には、代わりの當直醫師を探して紹介せねば辞められないような雰囲氣で、辞め際には難渋したこともあったことだ。

 このように、着いてからはもてなし天國だが、定期的に行くのは本當に大變である。日本海側のとある病院では、冬、驛に着いたとたんに二〇㌢雪が積もっていて、普通の靴で行っていたゆえ、タクシー乗り場までの數十メートルの歩行にも難渋したこともあったことだ。現地の方には日常茶飯事のことであろうけれども。

 これは昔の話で、日本國人も、常勤醫療機關以外での當直をしなくなってから、久しい。今の病院當直も、當直料は昔とあまりかわらぬようだが、冷蔵庫に酒が入っていたりといった、もてなしの類は、ほとんど無くなっているようである。當直醫師の確保も、昔のように、醫局や知り合い醫師のツテではなく、醫師用の人材派遣會社が請け負うことが、多くなっているようだ。

 

紀元二六八二年 令和四年 四月一〇日