本當に重要なことは密室で決めるものだろう | 日本國人

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令和元年・紀元2679年10月1日開始。

 先日、森喜朗元首相が、惡質な發言切り取りに對するイチャモンによって、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会委員長を辞めてしまうという事件があった。その後任人事が、迷走しているようである。

 さもありなん、といったところだ。そもそも、今囘東京にオリンピックを持ってくることも、それを、武漢風邪なる世界的疫病が蔓延しているのに延期してまでも強行しようとすることも、非常に困難なことであるはずだ。おそらく、いろんな”無理”が働いていることだろう。

 逆に、無理を通せる人物が居なければ、今、東京オリンピックが開催できるか否かというような議論にまでなっているはずもなく、とっくの昔に東京オリンピックは消滅しているはずだ。

 良くも惡くも、その無理を押し通してきたのが、東京オリンピック・パラリンピック組織委員長であった森元首相の實力であろう。並大抵のことではない。権謀術数うずまく国際社會においては、それ相應の地位に就いたことが無ければ、まず相手にもされぬだろう。森元首相がこの仕事をこなしてこれたのも、元首相であったがこそ、ということも大きいのではなかろうか。

 森組織委員長の後繼には、いろんな名前が擧がっては消えているようだ。女性蔑視の濡れ衣にて辞めることになった以上、女性がいい、とか、でも、

”セクハラ”女はダメだとか。

 そんな中で、”密室”で決めるのはダメだなどとという、妙な意見が出てきている。だいたい、密室とは何だ?。換氣扇や窓が付いていればいいのか??。廣場ででも決めろということか???・・・という皮肉はさておき、だいたい、何か大事なことを決めるために使われるのは、古今東西、部屋の中で、である。組織において、大事なことを決める時は、部屋もしくは部屋的なところに、然るべき人間が集まり、會議・決定が行われるものだ。その様子を、一部始終衆目のもとに明らかにしておくなどということは、あり得ぬし、あってはならぬことであろう。

 まあ、戰後日本の国会のごとき、くだらぬモノなら、見せびらかしてもよかろうが、その国会にしても、各種委員會など、重要な會は、密室で行われよう。

 今囘、東京オリンピック・パラリンピック組織委員会の長を、密室で決めるな、ということは、もはや、こんな役職は、重要ではないどうでもいい、と言っているに等しかろう。そんな決め方では、無難な人事にはなろうけれども、それでは今年の東京オリンピックはおぼつくまい。

 今年、東京オリンピックを、何が何でもやるのだ、という無理を通すのであれば、森元首相に土下座して謝り戻ってきてもらわねば、難しかろう。そもそも、無理に無理を重ねた企てなのであるから。

 

令和三年 紀元二六八一年 二月一七日