飲み續けると病氣を惡くしてしまう藥もある | 日本國人

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令和元年・紀元2679年10月1日開始。

 この世の中には、飲み續けると、病氣を惡くしてしまう藥がある。當ブログにて繰り返しふれている、神經症(≒俗に言うパニック障害、不安障害、多くの不眠、「うつ」の大部分、等々の総称)に對する、ベンゾジアゼピン受容體作動藥(抗不安藥、睡眠藥)の連用が、その一例である。

 病氣を惡くしてしまうのであればベンゾジアゼピン受容體作動藥が全く何の役にも立たないのかと言えば、そうではない。不安やうつ、不眠といった症状を、即効的に良くしてしまう効果があるため、使いようによっては便利な藥である。例えば、人前でしゃべることがどうにも苦手な、いわゆるアガリ症の人が、どうしても人前で發表しなければならない大事な會議がある場合など、抗不安藥を一錠飲むだけで、きりぬけられるということもあるのだ、こういう抗不安藥の使い方は、自分自身のためになるのみならず、會社にとっても社會にとっても有益な抗不安藥な使い方となるかもしれない。

 しかしながら、抗不安藥で會議が切り抜けられるからと言って、毎日毎日、會議のたびに、抗不安藥を飲んでから臨む・・・こうなってしまうとまずい。藥無しでは會議に参加できなくなってしまう、だけではなく、ベンゾジアゼピン受容體作動藥の依存性耐性といった性質により、不安やうつや不眠になりやすくなってしまうのだ。つまり、神經症を増惡させてしまうのである。そして、使用量が増加してくるほとに、状況は益々惡化していくのだ。

 似たような藥に、いわゆる「痛み止め」がある。「痛み止め」も、どうしても痛みを止めたいとき、例えば、體をいためている運動選手が、大事な試合に臨む前に、その時だけ飲むぶんには、便利な藥である。しかしながら痛いのに効くからといって、毎日毎日飲んでいては、やがて「痛み止め」無しではいられなくなる上に、痛みに對して耐える力がどんどん弱くなってしまう。そして、どんどん藥が増えていくごとに、益々状況が惡化していくことは、ベンゾジアゼピン受容體作動藥と同様である。

 このように、藥というのは、二面性を持つものだ。すぐよく効くように思える藥であればあるほど、實は害もあるのではないかと、疑ったほうが良い。その、藥が持つ二面性を正しく患者に傳えるのは、処方する醫者や調剤する藥剤師の仕事である。問題は、その、薬の効果のみならずその限界や有害性をも傳えるべき醫療者が、それを正しく認識していない場合も多いことだ。特に、若い醫療者が、こういった藥の依存性耐性を、本當に實感として認識するには、自身や家簇にそういった經験が無ければ、ある程度患者を長期間み續けなければ本當にはわからないことも多いかもしれない。であるから、若い醫療者には、このような藥の有害性を、きちんと指導者が指導敎育せねばならぬのである。

 

紀元二六八〇年・令和二年 九月六日