大東亞戰争とは”萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスル”ための戰 | 日本國人

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令和元年・紀元2679年10月1日開始。

 昨日の記事に、米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書を原文にて揚げた。この詔書のごとく、大東亞戰争は、決して外国ずれやサヨクどもが言っている侵略戦争ではなく、我が國自衛のため、および東亞開放独立のための聖戰なのである。

 開戰の詔勅は、まさに世界史に残る名文だ。起草したのは、熊本の偉人、徳富蘇峰であり、昭和天皇が御名御璽をなさり、東條首相以下國務大臣が副署をした、大日本帝國の意思を表した文書である。そして、実際の戰いにおいても、日本は、鬼畜米英どもの圧政下にあった、フィリピン、ビルマ等を開放した。そして、それぞれを國家として独立させ、先に独立していた満洲帝國、支那に樹立した汪兆銘を首班とする正当な中華民國、それに同盟國タイ、および自由インド仮政府も合わせて、大東亞協榮圏を樹立したのである。その結成會議が、昭和十八年に開催された、大東亞會議であった。これは、ただ単に東亞の仲良し倶楽部にとどまらず、国際平和に何の役にも立たなかった国際連盟にかわり、新たなる真の國際組織、その核となるべき、大いなる試みだったのだ。”列國トノ交誼ヲ篤クシ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ之亦帝國カ常ニ國交ノ要義ト爲ス所ナリ”という米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書の理念を正しくうけ、大東亞會議においては、”世界各國ガ各其ノ所ヲ得相倚リ相扶ケテ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ世界平和確立ノ根本要義ナリ”と、冒頭高らかにうたった大東亞共同宣言が出されたのである。大日本帝國が提案した人種差別撤廃提案に反対したり支那から満洲を開放し満洲帝國を樹立する邪魔をした国際連盟や、戰後連合軍がでっちあげた偽善国際連合ずれの低劣連合とは大違いである。さらに、昭和二十年三月になると、フランスの植民地であったフランス領インドシナを、ベトナム帝國、カンボジア王國、ラオス王國として独立させた。

 残念ながら、昭和二十年八月、日本はポツダム宣言を受け入れて、あろうことか武装解除してしまったがために、この開戰詔書および大東亞共同宣言の理念は、半端なまま中断してしまっている。しかし、この理念があったればこそ、戰後速やかにインドネシアおよびインドが独立を勝ち取り、その後、アフリカ諸国が陸続と独立できることになったのだ。米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書および大東亞共同宣言の”萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスル”理念は、世界のこれからのマトモな発展のため、是非とも継続されねばならぬ。大世界協榮圏を樹立していくことこそが、我が日本の世界史的使命なのである。

 

令和元年・紀元二六七九年 一二月九日