和の国の神さま  感想 | 大山蓮華

大山蓮華

ちょっと不思議な体験や感じたことを
古文献や民話や伝承などや遺跡の発掘資料などを参考にして
謎解きをしています

 

 

    桜井識子著 『和の国の神さま』    ハート出版

 

    9月9日発売でしたが 手にしたのは9月28日でした

 

 

 

   この本を読んで

   熊野本宮大社にヤタガラスがいる訳がわかりました

 

 

   第4章天照大神 を読んだときには意識が飛びそうになりました!

 

   第5章に書かれている「わかる」という感覚で

   著者が 空也の滝で滝行をして

   「意識の一部が飛び出しそうになる」と書いていますが

   そのような感覚です

 

 

   ありがとうございました

 

 

 

 

 

   蓮華は お不動様からご縁をいただいていました

   吉野の蔵王権現堂にも行きました

   権現堂の奥の角に祀ってあった蔵王権現の像を見て

   ・・・なんかお不動さんに似ているよなぁ・・・と感じてしばらく見つめていました

   枕元にとても大きな存在感で多聞天さんがいらっしゃったこともありました

   龍さんを視たことも1度や2度ではありませんでした

   龍さんが 蓮華に玉を差し出していたこともありました

   桜井識子さんのブログに出会う前のことです

 

 

 

   識子さんブログを読んでいて  少し前から

   なんか なんとなく蓮華と似ているところがあるよなぁ・・・と思っていました

   でも

   蓮華は あちらからのコンタクトは知覚することができても

   意思の疎通はできません

 

 

 

 

   先日

   群馬の榛名神社に行ったときに

   参道を歩いていて ふと足を止めると

   風も無く 木の葉も草の葉も動いていないのに

   顔に当たる風を感じたり

   風きり音というのでしょうか ビュービューという風の音が聞こえていました

   榛名神社から妙義山に行き

   中之岳神社から上がって見晴台に行き

   第四石門で ぼ~~~っと石門を見上げていたら

   歓迎の蝶々さんが目の前にやってきました アサギマダラです

   下山して 再び中之岳神社の境内に行ってみると

   大国神社でちょうど ご祈祷が始まりました

 

   このような事象が 第5章で書かれている「わかる」という感覚の初級のようです

 

 

 

 

 

 

   いつからだったのか忘れましたが 太陽さんを直視しています

 

何故か丸く写らない太陽さん

 

   太陽さんは空間を歪めたり

   いろいろなメッセージを送ってくださるのですが

   メッセージの意味はま~~~ったくわかりません

   わかっているのは 太陽さんに意思があること

   太陽さんに意思があるとわかってから さん付けで太陽さんと呼んでいます

 

   太陽さんに意思があるのなら

   地球さんにも意思があるということになります

   そうすると

   日本という地にも意思(存在)があることにもなります

   日本の中でも大きな地域を護っている存在も 小さな地域を護っている存在も・・・

 

 

   識子さんが探したアマテラスさんは 

   日本の地を護る存在で 太陽神アマテラスさんではありませんでした

   日本神界というパラレルワールドに存在するそうです

 

   高天原というのは人の想念が創った アストラルワールドですね

   アストラルワールドだから人の姿で視えるのです

 

   だから 神格は山の神さまと比べることはできないのです

 

   天の神さまや山の神さまは 現実世界に いる のです

   存在はしていますが姿や形はありません

   光や音と同じように波長とか振動として その存在を感じるのです

   意識の集合体とか情報の集合体といえばいいのでしょうか・・・

   ( 個人的な見解です )

 

   識子さんが探したアマテラスさんは 日本を護る神さまなので

   例えば

   大地の女神さんとか地母神などともいえるのかもしれません

   この尊称でよければ 関東でも知覚することもできますが

   もしかすると・・・

   アマテラスさんとコンタクトのできる人が過去に道を作っていたのかもしれません

   それとも 

   過去生でコンタクトをしていた人が生まれ変わっていたり・・・

 

 

 

   この著書の 第4章197ページの最後の行から

   < アマテラスさんによると

   < もしも私が豊鍬入姫命の立場だったら 一番クリアに交信が

   198ページ

   < できるのは 籠神社の奥宮 真名井神社 だと言われました

   < えっ! そうなんですか! と驚く私に・・・   以下略

 

   ここを読んだ蓮華は 意識が飛びそうになりました

   いや ちょっと飛んでしまったかもしれません

   文字が見えなくなり 思考は停止しちゃいました

 

 

 

   真名井神社は

   なんとなく 行ってみたいなぁ・・・

   遠いから いつか 行けたらいいなぁ・・・

   くらいに思っていましたが

   籠神社にもお伊勢さんにも ま~~~ったく関心がありませんでした

   そのようなときに

   多聞天さんが 強烈な存在感で枕元にいらっしゃったのです

   その半年後 真名井神社に行きました

   真名井神社では 何かの存在を知覚しました

       この時は自分の住所や名前などは告げずに

       日本列島が穏やかでありますようにとお願いしたと思います

   ご挨拶を終える寸前に 左から大きなラップ音がして 思わずビクッ!!

   何センチか飛び上がっていたかもしれません

      ( 社殿の左上に女神さんがいらっしゃいます )

   神社でラップ音を聞いたのはここだけです

   帰ってきてから カメラの画像を確認していたら 再びビックリ!!

   女神様が写っていました

  

   

   まさか・・・ !?

   識子さんが探していた アマテラスさん 

 

 

 

 

      < 役の行者さんが山上ヶ岳で修行をしていて 天女を感得し

      < 山上ヶ岳は女人禁制なので 弥山の麓に祀ったのが天河弁才天さん

      < 記録に残る日本で最初に顕れた弁才天さんと伝えられています

   これをみたときには 弁才天さんって川の神さまじゃん

   なんで 山の上に顕れるん? と思いました

     

      < 沖縄の天久宮は 1465~1487年頃の創始と伝えられていますが 創始の由来は

      < あるとき 法師を従えた女人が山上から下ってくるのをみた

      < 山の中腹には小洞窟があり 女人が洞窟に消えるのをみた

      < 洞窟の前に香を供えると神託があり

      < 我は熊野権現なり かの女人は国家の守護神であり弁才天である

   役の行者さんが弁才天さんを感得して 数百年後に沖縄にも顕れたようです

 

   このような記事を見つけたので 上の画像は弁才天さんかな?と思っていました

   その後 何の根拠も無く もしかしたら大地の女神さん?とも思っていました

 

   国家の守護神といっているので 識子さんの探したアマテラスさんかもしれませんね

   

   

 

 

 

 

 

 

 

   第1章から第3章までは 天孫降臨から東征について触れていましたが

   大筋では 出雲の伝承と同じように思います

 

   本書では 天孫側からの視点で書かれていますが

   出雲の伝承では 当然ですが出雲族の視点です

   国譲りは 出雲側からみると国盗りと伝えられています

 

   出雲の伝承によると

   秦の徐福は 1度目は紀元前219年に出雲に渡来してホアカリと名乗り

   (このときに徐福は 大国主と事代主を洞穴に閉じ込めて殺害したと伝えられています)

   2度目は 紀元前210年に有明湾から上陸してニギハヤヒと名乗りました

   (吉野ヶ里遺跡が年代的に一致します)

   古事記では 日向の高千穂峰にニニギノとして天孫降臨したとされています  ・・・つづく

 

   中国の古文書でも 徐福は2度出航したと記されています

 

 

 

 

 

   ヤタガラスについては この本を読んでいて

   ある瞬間に あっ! わかった!となりました

 

   それからゆっくりと考えると 次のようになりました

 

 

 

   2度目の東征では ヤマトの11代目の大王になったので

   このときについてきたヤタガラスは 高千穂峰に戻ったのでしょう

 

       天皇という尊称は

       古事記の編纂頃から使われ その前は大王と呼ばれていたようです

 

   1度目の東征は 徐福が有明湾から上陸してから およそ370年後

   徐福の子孫の3人の兄弟が船団を組んで九州の西側から出航して南下し

   四国で河口に一時留まり この川は物部川と呼ばれるようになりました

 

       徐福の子孫は モノノベと呼ばれています

       モノというのは もののけの モノのことで目に見えない存在のこと

       モノの力を借りる(司祭する)部族 ということから 物部というらしい

       呪術なので呪禁道とも呼ばれるが 後に陰陽道に取り込まれる

       後に 物部神道

 

   紀ノ川の河口から上陸した時に 先住の名草戸畦の攻撃を受けて

   指揮官のイツセ(五瀬)が亡くなり 付近の竈山に埋葬されて

   イツセの子孫が守っていましたが 後に竈山神社となっています 

 

       名草戸畦の人々は 数千年前に

       南九州の宮崎あたりの海沿いの地域から紀伊にやってきたと伝えられています

       この人々は スンダランドという地域から北上してきたようです

       6300年前に鬼海カルデラという海底火山の大噴火がありました

       この噴火によって西日本の人口は大きく減少しました

       名草の人々もこの噴火で南九州から移動したのかもしれません

 

   イツセを失った2兄弟は 紀伊半島を回り 

   熊野川の中洲に着き イツセを祀りました

   熊野川の中州というのは 現在の大斎原です

   これが熊野本宮大社の始まりと 出雲の伝承で伝えています

 

   これで 繋がりました

   熊野本宮大社にヤタガラスがいる訳がわかりました

   熊野のヤタガラスは イツセについてきたようですね

   そして

   長い時間と多くの人々の信仰によってヤタガラスは増えたのかもしれません

 

   ヤタガラスは 元は中国にいたようです

   呪術などに長けていた徐福が連れてきたようですね

   徐福の子孫のイツセは ヤマトに着くことが出来なかったので

   ヤタガラスは戻ることが出来ず

   イツセの祀られている熊野本宮大社に留まっているのでしょう

 

   ・・・・・・ イツセ=五瀬=五十瀬=イセ?(伊勢)~五十鈴川?

 

   

 

    ・・・つづき

   出雲の伝承では

   1度目の東征から およそ70年後

   徐福の子孫が 九州を南下しました

   この大王は 薩摩の阿多の姫(阿多津姫)と結ばれ

      (阿多津姫は 古事記ではコノハナサクヤヒメと記されています)

   日向に行きました

      (日向は 都万国のことで 魏書では投馬国と記されています)

   大王と阿多津姫の息子が 生まれたところには 生目神社があります

   阿多津姫はその後亡くなり 都万神社にコノハナサクヤヒメとして祀られています

   大王はその後 豊国の宇佐の豊玉姫と結ばれました

      (竜宮の豊玉姫と記されています)

   大王と豊玉姫の間には 豊彦と豊姫が生まれました

   この子はヤマトでは トヨキイリヒコとトヨキイリヒメと名乗っています

      (古事記・日本書紀では トヨスキイリヒコとトヨスキイリヒメと記されています)

   大王は 東征前に亡くなり 息子と豊玉姫が東征を開始しましたが

   指揮を執っていた豊玉姫は 248年頃安芸の厳島付近で亡くなりました

   豊玉姫は 宇佐神宮に姫大神として祀られています

      (識子さんがコンタクトしていますね そのときの男神は この大王のようです)

        大王が亡くなった後

        豊玉姫は女王として魏と交流をして

        魏から 八本の幡を受け取り これが八幡の由来のようです

   豊玉姫の後継者は 娘の豊姫で 魏書には壱与(トヨ)と記されているようです

   このときの東征は瀬戸内海を東へ進んで

   白肩津から上陸をして 生駒山地にしばらく留まりました

      (生駒山地は 記紀ではニギハヤヒが降臨したとされているところです)

   この東征の時には 別の隊が出雲を急襲して出雲王国は滅亡しました

   以上 出雲の伝承です

   2度目の東征ではシャーマンが同行していたので成功したのかもしれませんね

 

   豊玉姫は霊能力の高い巫女(シャーマン)だったので 後継者が必要だったようです

   魏書に書かれているヒミコは何人もいるようで 豊玉姫もヒミコです

   この大王が 識子さんのいうニニギさんの息子さんのようですが・・・

   (ニニギさんの何代も後の息子さん   あちらの世界では時間の概念がありません

   この時代は 

   埋葬された場所と 祀られている場所が違うケースが多くみられますね

   亡くなった人の霊は 埋葬された処より 祀られた処に憑くようです

   その場所に意識エネルギーがあるので

   人がそのエネルギーに触れることで映像として視えるのです

 

 

 

 

    「和の国の神さま」から一部抜粋します

   桜井識子さんは

   霧島神宮の神様にお尋ねしました

   「神様はどのようなごりやくを下さるのでしょうか?」

   神様は

   「天孫降臨ということになっている

   桜井識子さんは

   「 ?! ?! ?! 」

   霧島神宮の由緒書きには「御祭神 天孫瓊瓊杵尊」と記されています

   神様は付け加えました

   「天孫瓊瓊杵尊とは少し違う

   神様によると 

   瓊瓊杵尊という人物のモデルは自分である

   とのことです

 

   この下線部分が重要で 出雲の伝承と合致しています

   ありがとうございました

 

 

   霧島神宮には秦徐福の息子の物部彦ホホデミが祀られているようです

 

   古事記や日本書紀には 秦徐福のことは記されていませんが

   識子さんは 本書の第2章で 古事記の天孫降臨の説明をしています

   そこに書かれている 天忍穂耳命は 徐福の父・除猛のことです

   瓊瓊杵尊というのは 秦徐福のことです

   徐福の母は 千千姫で タカミムスビ(古事記では高御産巣日神)とか 高木神

   または 拷幡千千姫(タクハタチヂヒメ)とか 萬幡豊秋津比売命などと記されています

 

 

   遺跡などの調査によると 縄文時代には争いが無かったそうです

   弥生時代になると 武力による争いが起こっています

   弥生時代には中国で多くの争いがあり 多くの渡来がありました

   徐福は 新天地を求めていたのかもしれません

   多くの新しい技術や植物の種子などを日本に伝えています

   稲作は もっと古い縄文時代に日本に伝わっています

 

 

   

 

     言い伝えは 多かれ少なかれ 真実を含んでいます