日本に顕われた 弁才天さん | 大山蓮華

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ちょっと不思議な体験や感じたことを
古文献や民話や伝承などや遺跡の発掘資料などを参考にして
謎解きをしています

 

 

 

                                                   ・・・ 弁才天さんを探して 4

 

 

 

 

 

 

                          沖縄に顕われた弁才天さんの記事は書きましたが

 

 

 

 

   日本で 最初に顕われたという「弁才天」さんは

  役小角が感得したといわれています

 

   役小角は 実在の人物といわれています

 

 

 

     役行者

     633年8月10日生~701年6月7日没68歳

     1799年神変大菩薩の号が贈られています (1100年忌?)

 

     三輪氏族から出た賀茂氏の分家ということになっています

     分家なので賀茂の役君というようです

     役小角は 賀茂の役君の小角  賀茂役公の民 

     役の優婆塞ともいわれています  (優婆塞は出家をしない在家仏教の人)

 

     

     父は出雲から婿入りした高鴨神に奉仕する加茂大角   (大角の子なので小角?)

     (加茂は賀茂と同じ氏族)

     母は物部真鳥(神道)の娘で渡都岐比売(とときひめ) 亦の名を白専女(しらとうめ)

 

 

                            うにゃ?  専女とは狐さんのことにゃん

                            白狐か?   

                            神道の生まれだから巫女さんか?

 

 

     大和の国 葛城上郡茅原の里 茅原山・金剛寿院(吉祥草寺)で生まれました

 

 

 

   役小角が 大峰山系で修行をしていた時に

  山上ヶ岳で弁才天女を感得したと伝えられています

  これが 記録に残る

  日本で最初に顕われた弁才天とされています

 

 

 

                     川の神さまが山の上に顕われるのか?

                     山の神さま(=土地の神)じゃないの?

 

 

 

           ・・・

 

    役小角は 弥山の鎮守として祀り

    その里宮として麓に祀ったのが坪内弁才天社(=天河神社)

    弥山神社はその奥宮となった

 

    その後 

    天河は 空海が修行の場として

    弁才天社は 琵琶山妙音院として伽藍を建立し神仏習合の聖地とした

 

    更に 

    役行者や空海を慕って 聖法理源(醍醐寺の開祖)も修行の行場とした

       理源大師は修験道の中興の祖といわれ 醍醐寺の開祖です

       醍醐寺三宝院を中心とする修験道を当山派といいます

 

 

    天河神社は

    江戸時代までは 琵琶山白飯寺と号して本尊は弁才天としていた

    明治の廃仏毀釈により白飯寺は廃寺となり

    本尊は市杵嶋姫命と改められた

    現在は 天河大弁財天社といいます

 

    現在祭られている像は 宇賀弁才天像です

 

 

 

    奈良の真言宗豊山派総本山の長谷寺

    その塔頭寺院・能満寺には二つの天河弁財天曼荼羅が所蔵されています

    ひとつを紹介します

 

 

                                     

          大阪府美術館特別展「祈りの道~吉野・熊野・高野の名宝」図録より

 

     能満寺に居た絵師・淋寛筆 1546年9月8日との年記があります

 

 

                     3面蛇頭10臂!

           

                     まさかねぇ 

                     役小角さんは天女を感得したのよねぇ・・・

               

      

 

 

 

 

 

 

 

 

    また 

    「住吉村誌」によると  (住吉村は現在の神戸市東灘区)

    役小角は甲山でも修行をしていて

    「鷲林寺から~~~唐櫃村の修験宿四鬼山伏の總家に到着~」

    六甲修験の通路だったようだ

    最終地点は多聞寺らしい

 

    甲山とは六甲山のことです( コウヤマ  ムコヤマ(六甲山・武庫山) )

 

    650年頃の創建と伝わる六甲山吉祥院多聞寺

    本尊は多聞天(=毘沙門天)と吉祥天

        ( 毘沙門天と吉祥天は夫婦といわれています )

 

    

    毘沙門天が顕われたという雲ヶ岩・心経岩・六甲比売神社を奥の院としています

    その多聞寺と深い縁の四鬼家は役行者の子孫ともいわれています

 

            余談ですが三重には鬼とつく地名がたくさんありますね

 

    四鬼家は六甲修験の総家だったそうです

    自分の子孫に護らせた此の場所は

    あちこちの場所に弁才天を祀った役小角にとって

    重要だったということかもしれません

 

 

    多聞寺略縁起によると 往古は六甲山系古寺山にあった

    古寺山遺跡調査もされています

    遺跡調査と多聞廃寺址概要によると

    天安二年(858年)高野山の長善阿闍梨が創始した可能性が高いようです

 

    古寺山は独立した綺麗な円錐形の山容に見えます(神奈備山?)

    

 

    役小角が甲山で感得した天女は瀬織津姫だったのでしょうか・・・

 

 

 

 

    箕面山・瀧按寺 

         神戸市箕面市箕面公園2-23

         本山修験宗 (本山修験は 天台系修験です)

         本尊 弁才天

    寺伝によると 役小角が箕面滝下に弁才天を安置してお堂を創った

    箕面滝「真言伝 役優婆塞」正中二年(1325年)編によると

    箕面滝は3段だったという

 

    役小角は箕面の天上ヶ岳で亡くなったと伝えられています

 

 

 

 

 

 

 

    高槻市の神峰山寺は

    秘密ではない「神峰山寺秘密縁起」によると

    役小角が刻んだ毘沙門天を祀ったことが起源とされている

 

                         役小角は毘沙門天さんも関係あるんですね

 

    774年天台宗の寺院となった

    毘沙門天は鎌倉末期から戦の神として信仰され

    元禄時代頃には商売繁盛を祈願する信仰を受けた

    七福神の1神であることが起因しているようです

    江戸時代には隆盛していたが 明和二年(1765年)本堂を消失

    安永6年(1777年)に再建された

 

    高槻市の北山・本山寺も

    役小角が刻んだ毘沙門天を本尊としているという

 

 

 

 

                         役小角さんは 最初に天女を感得して

                         毘沙門天さんを刻んだのは・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

                     

 

              蓮華は 多聞天さんが枕元に顕われたので

              鞍馬に行って多聞天さんにご挨拶をして その後 天女を撮影した

              役小角さんとは逆だ・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   * 弁才天さんを探す記事は続きます *