よくスピリチュアル界隈では


愛はコップに例えられますよね。


自分の中にあるコップ。そのコップが愛で満たされていればいいんですけど


他人にも愛を分け与えることが出来る人というのは


自分のコップが愛で溢れ出していて


その溢れ出した分を分け与えているんですよね。



なので、自分がまず愛で満たされていることが最優先なんです。



しかし、ネットのコメント欄などを見ていると、コップが満たされていないどころか


カラカラに渇いた人達が多く見られます。



でもそれはネットの中だけであって


実際に私たちが日常生活でリアルに会っている人達は




結構みんな優しくないですか?




日本に来た外国人に訪ねると


「日本人は皆親切だ」と口を揃えたように言いますよね。



日本人は、自分の中のコップに愛が入っていなくても


他人に愛を与えようとします。



するとどうなるか。






見返りを求めるようになるんですね。




「お祝いあげたのに全然お礼がない」


「美味しいもの送ったのに何も送り返してこない」


「こんなに尽くしてあげたのに…」


「大学にまで通わせてあげたのに…」



などなど、挙げたらキリがありません。



実は他人に分け与えたと思っていたのは愛ではなく



ただ単に損得勘定からくる行為なわけで


もっと言ってしまうと



取り引きになってしまっているんです。こちらが与えたんだからそちらも何かよこせと。




本物の愛は見返りを求めません。




例えば私なんかクルマを運転していて、誰かに譲ってあげた時


お礼の合図やハザードが無くても



全然気になりません。


あぁ、別にいーよーって。


別にお礼が欲しくて譲ってあげたわけじゃないし。


別に良い人ぶるつもりもないし。


別に譲って俺だけ赤信号になっても、まぁいいし。


別にそんないいけど…

(↑根に持つタイプ)