大蔵経寺山
石和に泊まった二日目は登ったことがない山梨百名山の、大蔵経寺山へ登ることとし、宿を七時三十分過ぎに出て、石和温泉駅の起点は八時出発で、北口へと歩を延ばし、雁坂街道を西の方向へと進むと、川を一つ渡ってすぐに大蔵経寺の看板があるが、それは見逃し、次の道路に大蔵経寺山の矢印を見る。行けば右手に立派な大蔵経寺を望み、山肌に墓場があり一本の桜の木が諸行無常の花びらを墓場へと運んでいるのを見る。美しく桜を墓石へと散らしている。左手の坂を登って行こう、すぐに登山者用の駐車場が現れ、右手に猪除けの柵の扉を開けて、林道を上へ上へと進む。雑木林の様々な木の芽が目に眩しいほどである。楓の花が小さく空を彩り、若葉がツンツンと空を突ついている。菫も若干は見るが少ない。この森の良いところは植林ではないところで、まさに季語の山笑うという春の山の表現にふさわしいものがあるような気がする。そのうちに林道に登山道の略図が現れ、図のようなコースを辿ることにした。その図から左手に山肌を横断するように行くと、五分ほどで山ノ神を祀るしっかりとした社へと到着して、そこから尾根をひたすら登るコースとなる。どういう山かといえば、大きな岩がそこここに散在する山で、その間に砂がある感じで、多くは枯れ切った落ち葉で埋まっている感じである。さらに尾根がいささか急なので、しっかりと地を踏みしめて行く感じになる。ありがたいのは枝にテープが設置してあり、そのテープに沿って行けば、良いコースを歩けるということになる。いつも速い静岡の友が先陣を切って登り、二番手に私がゆっくり歩を進め、三番手に広島の友がさらにゆっくりと行く感じで登ってゆく。先陣の友の姿はもう見えない。時に鶯の声を聞き、春の鳥の声を聞きつつ、澄み切った春の山を存分に味わいつつ、歩みゆく。急登が一旦終わり、ひとつの大地のような所へ至り、さらに急登となる。途中途中登山道が掘られたところが多くあるが、これは猪の仕業に違いない。さて、頂上へはよっこらしょと登れば到着する。静岡の友と、さらに奥に進まんとする方が居られ、聞けば下山は午後三時過ぎとのことで、真に元気なものである。頂上に展望はない。途中途中の林間に南アルプスを望み。背中に富士山を振り返れば望める山である。頂上で軽い昼食をいただき、帰りは東に進路を取る。下山する所々の山桜が様々な姿を述べて、美しい若葉の少し出ている感じがいかにも山桜という感じで、しかもここは甲斐の国である。武田信玄を思えば、その国の山桜も情緒があろうと 言うものである。山桜を楽しみつつ、山道を楽しめば、登山道が尽きて、その林道の樹間から望む盆地の色合いが今の時期であらばの景を見せている。春らしい桃の花の色合いの素晴らしさが盆地を覆っている。また石和の奥のの山裾から降りてくる桃の花の色合いの素晴らしさは、口に出せないぐらいのものがある。林道をさらに降れば、セブンイレブン財団の一行が三十人か四十人ぐらい居るだろうか、山に桜の植林を行っているところである。その下の山肌を見れば、そこも見事に桜の植林がされているので、何年か後には有名な桜山になるのではないだろうか。その下へと歩を進めれば展望台があり、桜の会が催されているようである。そこでしばし盆地の展望を楽しみつつ下山する。石和温泉駅へと到着して、下山終了である。石和市内で蕎麦をいただき、桃の花の会場まで無料バスで行き、南アルプスと桃の花のコントラストをたっぷりと楽しんで、さらに石和温泉へと戻り、静岡の友とはここで別れて、広島の友とは立川でお別れである。今日は3時間半の山歩きでした。
ありがとう、大蔵経寺山。
ありがとう、桃の花。