生藤山から三国山・熊倉山を経て浅間峠 | 俳句とお星様と山歩き

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俳句は、日々の散歩の頂きものです。お星様の話は、今は中断中です。山歩きは、主に奥多摩周辺が主です。2006年1月6日に開設したヤフーブログから移転してきました。よろしくお願い申し上げます。

 

生藤山から三国山・熊倉山を経て浅間峠

どうも桜が咲く前ぐらいになると生藤山に登りたくなる。生藤山の尾根の桜の樹は、山の上なので里よりも、少し後になる。今登っても何もないわけだが、不思議と誘われる感じがある。上野原駅へは8時25分に到着して、井戸行のバスは、8時32分である。バス停へ着くと富士急上野原営業所の名物のおじさんが居て、どこの山に登るのかと声を掛けてくれる。この富士急上野原営業所のお蔭で、登ることが出来る山は結構あって、坪山や奈良倉山・鶴寝山などが有名なところだが、他にも色々と取り揃えているところが凄いのである。井戸行バスは、私の他は、一人のみが登山客で、30分弱で井戸終点である。バスを下りれば、左手に杣の山々を引き連れた富士の峰が美しい。自然の中だけの富士山が見れるところで、この井戸から見た富士山は、いつもちょっと、他から望む富士山とは別物ではないかと思っている。この前登った扇山の里からも富士が見えるが、これほどのことはない。富士を左手に見ながら真直ぐに右手が井戸の集落である。突き当りを右手に入り、鳥居の辺りで橋を渡るが、その沢がまた荒々しい、霜が降りてをり、吹き来る風もまた冷たい。坂をさくさくと音を立てて登ってゆけば、右手真直ぐに129段の石段の参道が、これはまた、自然石の階段なので、下から見上げる感じがとても風情がある。ここは、左手に坂を詰めてゆき、軍荼利神社は、日本武尊を祀る。その神社の裏に出て、林道風のところを赤い橋を渡れば、眼前にカズラの巨木がある。奥社のご神木である。奥の院へ参って、その裏の二股の道を右手に行く。杉林の中を何処までもゆく感じでジグザグに上り詰める。これにより高度を上げてゆく。下から1時間強で、稜線へと飛び出る。そこが桜並木であるが、当然に莟である。そこを左手に行き、三国山は、脇道でスルーして、先に生藤山へ登る。細い尾根を少しゆけば滑りそうなところを注意して登れば、直ぐに頂上である。富士が見えるが、早くも雲が出て、朧である。その代りと言っては何だが、南アルプスが連山の奥に真白く鎮座して美しいことこの上もない。ここからは、来た方向へ帰って、三国山に登る。ここも展望が良いところである。相模甲斐武蔵の三国が接するところで、三国山である。ここは、左手に笹尾根をゆく。むかしは、もっと笹が多かったはずであるが、今は、それほどのことはない。降りたところが三国峠で軍荼利神社奥社へは、もう一度登り返す。そこへ参って、降りて、登れば、熊倉山で、ここで、展望を楽しみながら、昼食にする。先客が二名で、長椅子が三脚あり、丁度いい感じである。木々の芽吹きも楽しみながら、今日は、パン食である。熱いお茶で、身体をあたためて、瘤を幾つか越えてゆけば、浅間峠へ到着である。大きな杉が二本、夫婦杉である。祠が後ろに真座する。さて、後は、上川乗バス停まで、一時間もかからないだろう。案の定、1時36分発のバスには一時間以上ある。今日は、3時間半の山歩きでした。上川乗のバス停で着替えをして、待てば、老人が来て、話をすれは、この集落は、24戸中、14戸が廃屋で、10戸のみが居住して、そのうちの2戸も90歳以上なので、集落がどうなるかとしきりに心配され居る。この集落は、兜造りが多く、武田の末裔が住む。名前も武田である。江戸の頃の兜造りの家もあるが、昔のように杉葺きではない。数馬に一軒のみ杉葺が残っているようであるが、今はトタン屋根になってい居るが、それにしても風格がある。その内にバスが来て、武蔵五日市は、2時36分の電車で、立川にご帰還です。

ありがとう、生藤山。