竹林の声が聞こえる。山門に入った瞬間が誠に、禅寺である、地蔵院。京都の寺はかくあらねばならな
い。一歩踏み出したその瞬間に全てを理解する。竹林の声が聞こえる。お互いの身を打ち合って、竹の音
が響く。細川頼之公建立の寺であり、一休禅師修養の寺である。この静寂、ここにある宇宙が、私を包み
込む、本尊は地蔵菩薩、方丈のお庭が、十六羅漢のお庭、単なる石がそれぞれに配されて、形を成さない
からこその十六羅漢の石そのものが、十六羅漢そのものに成りきって、秋空を流れ行く白雲も、この狭庭
には、影をなさずに、只管に、己が影のままに、これが、吾が自由であると謂わんばかりなのである。頼
之公の墓所は誠に、楚々として、そのお隣の、樹が大樹をなして、生きるものと死するものとの、対比が
凄まじいのである。折りしも、詩吟の結社の方々が、来ておられて、なかなかに、貴重な、詩吟の一節
を、竹林の中に今昔の物語を、有難く聞かせていただいた。