【琉球切手】U小判切手4銭 琉球 八重山郵便局 明治31年3月17日
1. 八重山島郵便局 → 八重山郵便局へ改称(1898年4月1日)• 1882年(明治15年)に「八重山島郵便局(五等)」として開設。• 明治31年4月1日、名称が「八重山郵便局」に変更。• これは琉球処分後の行政整理が進む中で、郵便制度が本土と同様の体系に整えられていく流れの一環。 2. 八重山郵便電信局の成立(1898年11月16日)• 同年11月、郵便と電信が統合され「八重山郵便電信局」となる。• これにより、八重山地域で郵便と電信の両方を扱う近代的通信拠点が誕生。• 当時の八重山は離島地域であり、電信の導入は行政・軍事・経済の面で大きな意味を持った。八重山郵便局の背景(明治期の琉球・八重山)■ 琉球処分後の通信制度整備• 1879年の琉球処分後、沖縄県の行政制度は本土化が進み、郵便制度も段階的に整備。• 八重山は地理的に孤立していたため、郵便局の設置は住民生活・行政連絡に不可欠だった。■ 明治期の郵便局ネットワークの拡大• 明治期は全国的に郵便局が増設され、離島にも順次設置が進んだ時期。• 八重山島郵便局(1882年開設)は、沖縄県内でも比較的早い段階の設置。明治期の八重山郵便路線(石垣島・西表島・与那国島)1. 基本構造:石垣島を中心とした海上逓送八重山の郵便は、明治期を通じて 石垣島(八重山島郵便局 → 八重山郵便局) が中心局。ここから各島へ郵便物が海路で運ばれた。● 石垣島 → 竹富島• 最短距離のため、最も頻繁な逓送ルート• 小舟による短距離海上逓送• 竹富島は八重山の中継点として機能● 石垣島 → 小浜島 → 西表島• 小浜島を経由するルートが一般的• 西表島は大きいが人口が少なく、郵便取扱所レベルの扱いが多かった• 明治後期には西表島郵便集配所が整備(現代の資料より)● 石垣島 → 黒島• 竹富・小浜と同様に短距離海路• 黒島は人口が少なく、郵便取扱所レベルの扱い● 石垣島 → 与那国島(八重山で最長距離)• 最も困難な海上逓送• 天候により欠航・遅延が頻発• 明治期は 月数回レベル の逓送頻度と推定される• 与那国島は行政的にも“辺境”扱いで、郵便制度の整備は遅れた2. 明治期の郵便線路図における八重山の扱い明治期の全国郵便線路図(明治5・10・18年版など)には八重山も含まれるが、詳細な島内ルートは簡略化されている。● 明治10年郵便線路図(太田金右衛門版)• 全国の郵便線路を示す最初の本格的地図• 八重山は「石垣島 → 竹富・小浜・西表・与那国」への海路が記載• ただし、島内の細かい経路は省略● 明治18年郵便線路図(駅逓局版)• 海陸里程と逓送方法が併記• 八重山は“海上逓送”として一括表示• 逓送時刻は本土ほど詳細ではない● 明治4〜9年郵便線路図(山崎好是編)• 明治初期の八重山の位置関係がわかる• ただし郵便局の等級や逓送頻度は簡略3. 八重山郵便局(石垣島)の役割八重山郵便局は明治15年開設、明治31年に改称、同年に郵便電信局化。八重山全域の郵便物は石垣島で集配され、そこから各島へ海路で配送された。4. 郵便逓送の実態(推定)明治期の八重山では、以下のような実態が推測される:• 逓送は 民間の船頭(請負) による• 天候により欠航が多く、郵便遅延は常態化• 島間の距離が短い竹富・小浜・黒島は比較的安定• 与那国島は“隔絶地域”で、郵便到着は月数回レベル• 島内の配達は徒歩または馬(石垣島のみ)