運転中
北広島市で道々から国道へ抜けるため市道を走っていた…
車はほとんど見受けられない…対向車が一台…なんでもないこと‼︎
対向車が中央線をはみ出し、突進してきた…とっさにハンドルを左に切って衝突を免れた‼︎
対向車は素知らぬ感じかな…反対側へ走り去る。
なんでもない道路…いつもの安全運転…でも「これが事故」改めて言い聞かせる。
そろって長寿 82歳男性
7人きょうだいです
先月、末っ子である妹が80歳になり,今月、長兄が98歳遠迎えました。
平均88歳です…
福島県の農家に生まれ、父からは「人生はうどん粉 運、鈍、根だ」と教えられました。
ガツガツせず、知ったかぶりせず、根性を出して頑張ってきました。
母からは「きょうだい仲良くな!」と言われ育ちました。
皆そろって長寿で、元気なのは、両親のおかげと感謝しています。
僕は5人きょうだいです…
こんなに長生きできたら良いですね…‼︎
ほろ苦い青春 74歳女性
時々、美しくて美味しそうな手作り弁当の写真を見ることがある。
味もさることながら、見た目も大事だろうなとつくづく思う。
通った中学校では給食がなく、弁当を持参していた。
しゃれたハンカチなどもなく、皆が新聞紙で包んでいた。
暮らしの中で新聞紙は重宝した。
昼食の時間は今思うと異様な光景だった。
誰もが弁当の中身が見えないように、新聞紙を盾日本するようにして、こそこそと食べていた。
たぶん、茶色くて粗末なおかずを恥ずかしく思っていたのだろう。
私の弁当も、卵焼きにソーセージ、ちくわの煮付け…緑色がなかった。
今思うと、隠して食べたことをばかばかしく思う。
10代ならではのプライドがそうさせたのかもしれない。
1人だけ隠さずに堂々と食べていた人の家は裕福だった。
貧しさは人を卑屈にさせるのだろうか。
今だったら、たくあん一切れでも隠さずに食べるのに。
愛情を込めて弁当を作ってくれた母に申し訳なく思う。
ほろ苦い青春だ。
昭和30年代〜40年代このような状態だったと思う。
現代的とか一応言えるのは50年代からだったのでは。
母がおにぎりを持たせてくれたが…高菜の葉で包んだおにぎりだった‼︎
今では高級品だが…子どもの頃、恥ずかしかった‼︎
霧島連山(宮崎の友人)
