熊本地震 記事から

10年になった…

前震、本震がいずれも震度7という規模もさることながら、余震の頻度も前例がなかった。

2週間ほどで3000回を超えた。

わずかな揺れが気の休まる間も与えず、被災者を苦しめたのだろう。

避難所で暮らした住民は人口の1割、18万人に達した。

外の方が安全だから、と車中泊を選ぶ人も多かった…その結果、エコノミー症候群を発症して亡くなる人が相次いだ…。

隣県の大分を含め、犠牲者278人の約8割が災害関連死と認定されている。

避難生活を余儀なくされた住民をどう守っていくか。

それは解決策を見出せていない課題だろう。

歌壇

「気が付けば五月節句も母の日も過ぎて千数百回の余震」

終わりの見えない日々が人々の心をつらく揺さぶった。

四つ目の揺れである。

 

多くの課題が残っているのは理解できる…

国内外の情勢がまともでないのもわかる…

でも、地震大国日本…脆弱な地盤・・・多くの災害は当然のように起きる‼︎

だから、国民を守る準備は第一優先である。

経済的な課題、原油、円安…近隣諸国…‼︎

自衛官が国歌を歌ったとか…政治と金の…とか、やってる場合か。

 

 

留萌本線 78歳男性(茨城県)

60年前、18歳の新人自衛官のわたしは、任地の北海道留萌市を目指して留萌本線の列車に乗っていた。

心細さを胸に山あいを走り、やっと日本海が近い留萌駅に着いた。

3月末で運行を終え、全線で廃線となった。

たくさんの思い出がある…

転属する上司や先輩を見送ったこと、演習で装具を持って乗り込んだこと、正月休暇を終えて一人で夜の吹雪の駅に降り立ったこと‼︎

テレビで雪が吹き荒ぶ様子を見ると、青春を過ごした厳冬の日々がよみがえる。

懐かしい留萌本線、本当にありがとう。

 

その気持ちは痛いほどわかる‼︎

僕の原点は…西鹿児島駅発(はやぶさ)新大阪駅(新幹線)東京〜横須賀線だった。

鹿児島の田舎から出てきた少年15歳の旅立ち‼︎

学生時代を花の都大東京で…静岡とか大分とか福岡とか神奈川とか宮城とか…渡り歩いた!

何もかも新鮮だった…多くのことがありすぎた・・・。

歳を重ね、じじぃになって…まだ元気に北国で働いている(笑)

 

市場食堂(塩ラーメン)