気になった記事
福岡・北九州市出身の早田ひなは、パリ五輪が終わり同じ九州地方で行きたい場所。「鹿児島の特攻資料館(知覧特攻平和会館)」
「生きていること、卓球ができているのは当たり前じゃないのを感じたい」
写真を、遺書を見ると…涙が流れてくる・・・‼
梨が届きました(おすそわけに忙しい)
日向灘地震 ニュースから
宮崎県の日向灘でM7級の地震、南海トラフの巨大地震に注意するよう情報。
日向灘は100年~150年に一回やってくる南海トラフ震源域の西の端、「この場所から大地が割れ始めるのかも」そう疑う向き。
東日本大震災は「数カ月前から直前までスロースリップという海底地盤がゆっくりすべる現象が発生していた」
南海トラフでスロースリップがよく観察されるのが日向灘。・・・
日向灘で大地震が発生直後に、南海トラフが動くかと問われれば…学術的に不定説。
日向灘で観察された最大の地震といえば、1662年の外所地震(M7.6)であるが最新の研究ではより大きい巨大地震と判明。
日向灘は大地震の多い場所で30年に一度はM7級。
数百年以上に一度はM8に迫る巨大地震が発生。
それでも外所地震は、佐土原藩・島津家の記録によれば、佐土原城の住まいは、「悉く損じ、一つも堅固なる家なし」・・・幅90㌢の地割れ、山崩れあり、通路が寸断、農家は八百余潰滅す・・・余震回数は44回。
とりわけ、被害がひどかったのが青島近くの飫肥範…9000石近くの田んぼが一夜にして水没。
ただ、ここの村民は「丘伝いにて上り、幸いに死人はなし」と伝わる。
(溺死15人との資料もあるそうだ)
地震津波により倒壊流出した家は数千件とみられる。
宮崎県は数百年に一度の規模で10㍍を超える津波も想定される。
宮崎市熊野の島山では外所地震の供養塔を50年ごとに一基ずつ建て防災の戒めとしている。
これほど大きな日向灘地震でも、すぐには超巨大地震を誘発しなかった。
南海トラフが動いたのはこの外所地震の45年後。
結論:毎日の生活において…心のゆとりと共に、常に危機管理(対応する段取り)を持っておくことが大事‼
「最優先は、命を守ること」
70歳まで働く 色々な投稿
少子高齢化が進み生産年齢人口が減少しているのだから、働くことは奨励されるべき、本人の意欲、体力次第…現場や役職を譲って次代の担い手が活動しやすい環境を…
(70代嘱託)
70歳を過ぎても自分のペースで働き続けられる現場は、残りの人生を明るいものにしてくれている。
(50代会社員)
50代の公務員は、70歳まで役職と給与そのままで…(ぜいたく)
いったい働くゴールはどこにあるのか。
個人の意見としては、65歳で引退したいです。
(40代会社員)
50代自営業者は、
先代が「ちょっとしんどいから先に帰る」と、言って、自宅で亡くなっていた。
そんな親世代を見てきた我々は、死ぬまで働きたくない。
「働ければ仕事は何でもよい」という気にはなれない。
収入は得られなくても、やりたい活動を70歳までと言わず生涯続けていきたい。
(60代会社員)
僕はこうしたい
第1弾
今の仕事を活かして保険の代理店としてやっていく。
今の仕事を活かして保険の代理店とこれから主流となるであろう、新しい形
(安い保険料・充実補償、加入者が代理店となり配当金、社会貢献)の保険を取り入れる。
第2弾
故郷の未開拓の山(鹿児島県鹿屋市)に、道と花を設けて自然の庭園を造、頂上に山小屋風の山菜そば屋を開く。
壮大なる夢であり実現したい(する)。
そんなに大きくしなくてもいいけど、高齢者のシェアハウスをつくりたい。
施設ではなく…住宅感覚で高齢者が楽しく生きて過ごせる。
仲良く集団で・・・
故郷に建てる。
これらの第2弾どちらかが自分の終焉となる。
問題点は
資金…(笑)
でも
壮大な夢で終わらぬよう…「生きて」そして「実現」する。
あと数年…だ。