平家物語

「さつまがた奥の小嶋に我ありと親にはつげよ八重の塩風」康頼入道

鬼界が島に流された康頼入道は都への帰還を願って、千本の卒塔婆に歌を書いて海に流しつづけた。(その一首)

薩摩潟とは薩摩(鹿児島県)の南に広がる海。

海の風よ、その奥の小島に私はいると親に告げてくれまいか。

 

読売新聞に掲載されていました…平家物語に「薩摩」載っていて嬉しいというか…知らなかった‼

 

タケノコとアスパラを焼いて塩で食う(V)

    

 

車中泊の旅  65歳男性

退職を機に先月、片道700㌔を超える島根への車の旅で初めて車中泊に挑戦した。

1泊にとどめたが、海辺のキャンプ場で波音を聞きながら眠りについた経験は貴重な思いでとなった。

2年前から準備を開始。

床が完全にフラットになる軽貨物車を購入…車内の整備。

天井からランタンなどを吊り下げる金具を取り付け…備品類は買いそろえた…。

出発前に自宅で予行演習し手順を確認。

車中泊のメリットは宿泊費を抑え、多くの荷物を運べること。

全国に住む学生時代の友人や、単身赴任中にお世話になった方々を訪ねようと計画している。

故郷の北海道の旅もいいなと思うと夢が広がる。

 

良いですね…羨ましいというか、僕もやりたいこと。

以前、山菜取りの帰り…休憩所に鹿児島ナンバーの車が止まっていた…

「こんにちは!鹿児島の方ですか?」と尋ねたら「そうです鹿児島市から車の旅に…」「僕は鹿屋出身ですよ」と話が弾んだ(笑)

名刺を渡して…道中の安全を言葉にして見送ったが…

鹿児島は15歳で離れたが…後は、全国を飛び回っていた・・・(V)

やはり最後は鹿児島の…故郷の親の傍で眠りたいと思う‼

 

今年の南高梅…昨年の倍以上の値段

 

思い

中津隊 増田宗太郎

増田は、「自分は諸君から選ばれて隊長になった。隊長になると、自然、西郷という人格にしばしば接した、諸君は幸いにも西郷を知らない、自分だけがそれを知ったが、もはやどうにもならぬ」といい、涙を流す。

その時、増田宗太郎が言った言葉…

「我、ここに来り、初めて親しく西郷先生に接することを得たり。一日先生に接すれば一日の愛生ず。三日先生に接すれば三日の愛生ず。親愛日に加はり、去るべくもあらず。今は、善も悪も死生を共にせんのみ」

鹿児島の南洲墓地に「中津隊士之墓」と「増田宗太郎墓」がある。

 

薩摩藩士 桐野利秋

銃で闘う時は勇猛果敢な軍人

刀で闘う時は「人斬り半次郎」…西郷を尊敬し最期まで従った武士。

貧しい下級藩士の家に生まれ15歳から示現流で鍛錬…

島津斉彬に支え討幕に加わり…

政府軍の上官として勤務するが西郷が明治政府を去る時…同行薩摩に帰る。

 

昨年亡くなった熊本の先輩を思うと・・・どうしてもこのふたりが浮かぶ。