父を亡くして 57歳男性

82歳の父が亡くなった。

前日まで普通に生活していたのに母が起こしにいった時にはすでに息を引き取っていいた。

自営の町工場で私たち息子3人を育ててくれた。

でも、父が家事をしている姿を見たことがなかった。

昔の人だから「男は外で働き、女は家事をする」という考えだったのか。

母も自営業で一緒に働いていたはずなのに……。

父は外出時に着替えることもせず、仕事で汚れた服や靴のまま行こうとした。

「恥ずかしいよ」との母の声にも「うるさい。俺はこれでいいんだ」と聞く耳を持たない。

母がストレスをためるのでは、と心配し、私は実家に帰るたび話を聞いていた。

父にも「母の言うことを聞いて。煙草もやめて」と話したが、あまり改善されなかった。

そんな母だったが、父が居なくなり寂しい思いをしてるように見える。

周囲の友人たちに愚痴を言いながら、うまくストレスを発散していたのかもしれない。

実家近くで開催されるハーフマラソン大会に参加する時は、前日から実家に泊まる。

父はいつも沿道で応援してくれた。

「遅いよー」と言われながらも、途中でハイタッチをして元気をもらった。

自分が走っている姿を見せることが親孝行だと思っていた。

もう応援してもらうことも、一緒にビールで乾杯することも出来ない。

自分が生まれたころの昔の話を、もっと聞いておけばよかった。

 

中学2年で父が旅立った・・・もう何年たつのか…。

令和元年に旅立った母のことは今でも偲ばれるが…

父親と喧嘩したことも、一緒に酒を飲んだこともなかった…‼

亡くなった父の年齢はとうの昔超えている(笑)

僕が天に昇ったら…多分一緒に飲めるのだろう。

 

指宿から開聞岳と池田湖(宮崎の友人から)

 

旅立ったチワワありがとう   紙面から

愛犬のチワワは、多くの病気と闘いながら、今月、14歳で旅立ちました。

病気が進むと足元がおぼつかなくなり散歩は私が抱っこして行きました。

食事も抱っこして食べさせました。

 

日に日に大きくなる腫瘍を消毒する時が一番つらかったです。

痛みを我慢しているのが分かるからです。

 

我が家にやって来た頃は、片手に乗るほどの小ささでした。

留守番が多かったですが、仕事で疲れた私をいやしてくれました。

小さな命が私たち夫婦を幸せにしてくれました。

ありがとう…

 

僕のチワワは16年間生きてくれました。

大阪から航空機で千歳に到着です。

単身赴任の家にも…何処にでも来て…来客に吠え続け・・・・。

庭のシャクナゲの下で眠っています。

 

ビーグルのナッツは「この犬の手術を出来る人は北海道にはおりません」と言われて数日でなくなりましたが…

チビのときも、元気な時も、余命僅かな時も…何も変わりませんでした。

朝、「おしっこに行くよ」…よっこいしょ~と起きて、歩いて玄関へ外でおしっこをして家の中へ…

餌を与えて、冷たい水…そして再び外へ…うんこをします…‼

おしりを拭いて…後は毎日を元気に好きなように生きてきました・・・・

 

最期の時は、餌も何も食べれませんでしたが…前日の夜アイスを少し「ぺろぺろ」

朝、「おしっこに行くよ」の声に…立ち上がることも出来ないまま…ヨタヨタと起き上がり外へ…庭で、おしっこかうんこか分からない用をたして、そのままへなへなと倒れこみました‼抱っこして家の中へ・・・

直ぐにへたり込み…「ナッツお水を飲みなさい」と冷たい水を置くと…滑りながら立ち上がったけど…水を飲むことなく、そのまま…ふせの姿勢になり目を閉じました。

 

今思いだしても…なんにも変わらぬ生活、素直で可愛い従順な愛犬かと涙する‼