思うこと

昔という表現が正しいかわからないが…昔と比べて現代社会に、おおらかさと優しさが失われてきたと思う。

仲間、友達…同僚等…悩みもお金も相談されたら助けた。

それが思わぬ結果を招いても、それで良いと自分に言い聞かせた。

人のことを構う暇などない…自業自得…自己責任・・・

色々言っても言われても、俺は昭和生まれの馬鹿のままでいい。

 

ニセコ山系…

 

男と女

♪なぜめぐり逢うのか…こんな歌詞があったと思う・・・

めぐり逢った…その後は2人の自由だと思う…

愛だ、誠実さだ、情熱だ・・・と騒ぐ‼︎

そこにあるのは…セックス…お金…やがて別れ話・・・

男か女かわからないが執着と恨みが強くなり~暴力・殺人の報道が目立つ‼︎

なぜ殺して自分も死ぬか…なぜ殺して埋めるか・・・

星の数ほど男も女もいる。

「この野郎…お前よりもっともっと良い男を女を探して幸せになる」…「今までありがとう…幸せになってね」・・・

寂しいとか死にたいとか…そんな気持ちになるのだろうなぁ・・・

 

でも、水もパンもない子ども達…戦地で逃げ惑う人々…被災地でやるせなさに呆然とする人々を思えば、雨風凌げ…食事も出来る‼

自分に正義あふれる熱意を今一度注いでほしい。

 

 

本物の強い人    60代女性

連れ添う高齢の親子を目にして、91歳で亡くなった母を思い出した。

病院の帰りにお好み焼きを食べたこと、関空から飛び立つ飛行機を眺めたこと…

働き者の母は、早くに父親を亡くし、結婚後も貧しく、子どもを幼くしてなくすなどつらい人生を送った。

でも「冬は必ず春となる」の言葉を胸に、いつも明るく、愚痴や弱音を吐かずに前向きにでした。

「うれしい」「ありがとね」と感謝の言葉を口にし、つらく嫌なことがあってもぐっと我慢。

腹を立て、顔や態度に怒りをあらわにする私に「抑えて、抑えて。こんなことで気まずくなってもつまらんやろ」と。

そんな母を理解できず、余計イライラ反発…

この年になって母の辛抱強さに脱帽です。

労苦を乗り越えた本物の強い人とは、こういう人をいうのかな。

 

まだまだ心の鍛え方が足りない…母のこういうところを受け継ぎたかった。

お母ちゃん、こんなできの悪い娘やけど、生まれ変わっても、またお母ちゃんの子どもにしてくれる?

お母ちゃん、今までありがとね。

 

 

令和元年8月に天国へ旅立った母を思い出しました。

子どもの頃…小学校・中学校…

父親を亡くした5人の子を怒りながら…はやし立てながら…不憫に思いながら…色々な思いで必死に大きくしたと思う…。

 

僕は15歳で故郷を離れ…特別な学生生活を送ったが…

夏休み、冬休み…母に会うのが楽しみで新幹線に飛び乗った…当時は、大阪で急行か特急に乗り換える…恥ずかしかったり…煩わしかったり・・・・

帰省した時、母の笑顔が好きだった…期待されているような重圧も感じたけど…

 

そこそこの道を歩いてきただろう・・・でも、失敗が後悔が…多すぎた(笑)

でも…それこそ多くの旅行が出来た。

 

卒業し…全国を転々…九州、関東、東北、北海道…

30歳…40歳…50歳・・・と年を重ねた。

 

頻繁に帰省して…

温泉に食事に…連れて行けば良かった・・・と、後悔の念・思いだけがつのる。

 

投稿者と同じように…「生まれ変わっても、また母さんの子にしてくれる?」…

断られるかも(笑)

もし、生まれ変われたら…南国の女性と結ばれて多くの子どもを育てたい…母のそばで!