穏やかな笑顔 48歳女性

高齢の母は物忘れが目立つようになった。

新しい記憶は曖昧だが、昔の記憶は掘り起こされるようで昨日のことのように話している。

振り返ると、母はとげとげしい表情をしていた時もあったし、私の言葉に耳を貸す余裕がない時もあった。

だが、今は穏やかな笑顔で父と愛犬と過ごしている。

まだ幼かった私を見つめていた頃の優しい目をしている。

私を抱っこして顔を優しくなでてくれた温かい手指の感触や、うっすらと甘いお化粧の匂いははっきりと思い出せる。

「お母さん、しっかりしてよ」と悪態をついてしまう私だが、母の笑顔と私を気遣う言葉を聞くと、母の母性が無性にありがたくて、涙があふれてくる。

この年になっても、私の「お母さん」でいてくれることを幸せに思う日々だ。

 

 

男の僕でも、やっぱり母親のことは、ことある度に思い出します‼

優しくて、厳しくて…「負けるな」「キバレ(頑張れ)」「魂を入れよ」・・・多くのことにはっぱをかけられた…。

多くの思い出を持つが…やっぱり母の傍で暮らしたかったなぁ‼

 

千歳川添いの桜

 

厳しい現実  紙面から

夫がリタイアし「毎日休み」になってからひと月あまり。

当初は、夫とは仲良しだから楽しく過ごせるだろうと楽観していた。

私だけが家事に束縛されるのは不公平だから、夫に少しづつ家事を伝授し、将来的には半分ずつ担おうとも計画していた。

 

まずは、長年先送りされていた各部屋の抜本的整理・断捨離からスタートした。

私より格段にパワー持つ夫により部屋は順調に片付いていった。

 

ところが、いつの間にか私は不眠症となった。

疲れきっているのに夜中に目覚め、寝付けない。

肩凝りがひどい。動悸もする。

原因は思い当たらなかった。

 

しかしある朝、目覚めて夫の気配を感じた途端、動悸が始まったのに気付いた。

原因は「夫の存在」だった。

 

長年、一つの仕事しかやってこなかった夫は、子どものように初歩的な失敗を次々としでかす。

また、夫はかつての職業柄、他者への接し方が高圧的で、何度も私に逆ギレする。

私は「やってもらっているのだから」と黙って耐え忍ぶ。

ぐっと抑え込んだ精神的ストレスが、体に出たのだった。

 

理想は「逃げること」、すなわち別居だろう。

だが、先立つものがない。

とすれば、道は「家庭内別居」。

思い切って夫に手紙を書き、突きつけた。

熟年夫婦の危機と対処策をテーマにした本も読み、勉強した。

予想していたのとは全く別の、厳しい現実となってしまった。

残された人生も、やっぱり闘いなのだろうか。

 

 

そんなものなのでしょう…理解できる。

でも、一般的に退職後を旅行したり…趣味を楽しんだり…家庭菜園をやったり…

双方そのような考えを持っているはず・・・現実は…。

直ぐ言う…「性格の不一致」 「価値観の違い」 「・・・」

地域も育ちも違うのに…一致するはずがない!

足りないもの…それは「感謝」

この世に…「当たり前」などない。