蝶の楽園
宮崎県 大島に珍しい蝶が(55頭)生息するそうです。
たまたま、訪れた方が蝶に詳しい方で…
島民で花を植え…管理して、蝶の楽園へ
観光客も多く訪れているそうです。

 

鹿児島の故郷に手頃な山林を購入し、管理手入れしてキャンプ場とバンガローを建てて…

多くの花木を植えて・・・夢が広がる…故郷の空に‼︎

 



歌声喫茶    70代女性(一年前の記事)
昭和42年の春、東北の日本海側の高校を卒業した私は父と汽車の中にいた。
目指すは上野駅…。8時間あまりの道のりであった。
体の弱かった私は、優しい看護師さんになるのが夢であった。
この日、入学した看護学校は全寮制だった。

父は置いてゆく娘のこと心配で、閉まる都電のドアに頭が挟まりそうになるまで、手を振って帰って行った。
私は寮に入ると、皆んなに気づかれないように洗面所の水を出しっぱなしにしながら声を出して泣いた。

その日から、畳の一部屋に1年の生徒4人ずつの生活が始まった。
その中に東京都出身の人がいて、休みの日には東京のいろんなところに連れて行ってもらうのが楽しみだった。
その一つが歌声喫茶「ともしび」。
歌集を貰えて、伴奏はピアノだったと思う。
「山男の歌」「カチューシャ」「かあさんの歌」などを若い人たちが声を合わせて歌った。
私のように地方から来た若者が多かった。
みんなの歌を先導する、歌の「リーダー」は、体も声も大きな若い男性だった。
「ある日、森の中、熊さんに出会った…」と「森の熊さん」の歌が始まると、リーダーさんのことを「まるで熊さんのようだ」といつも思った。
でも目はとても優しかった。

最近、その方が、歌手の上條恒彦さんだと知った。
夫にネットで調べてもらうと若い頃、ともしびにおられたとのこと。
ドラマで上條さんの姿を見ると、看護学校やともしびの歌声、亡き父のことが思い出される。

母は、僕の入学式に参加しました。
全国から集まる神奈川の学校…みんな15歳~16歳
前日、鹿児島からの同期生と家族はホテル泊…
着校して・・・・入学式が終わり…学校から母がバスで出発する時・・・
色々な思いが急に過ぎり…泣いていました…
強がっていたけど…母と一緒に帰りたかった鹿児島へ…
・・・

ラグビーをして勉強して大都会を歩いて青春でした…。
あれから何十年も経っています…母は、令和元年夏の暑い日に旅立ちました。
中2で亡くなった父の年齢も、入学式・卒業式に参加してくれた時の母の年齢も…
とっくに超えています(笑)


春の日差しに近づいてきたけど…
年を重ねてきた今、理想は彼方に遠くなり…涙もろくなってきた。