北海道で最も寒い町、陸別町…今朝は-26.6℃でした‼

僕の住む千歳も-20℃まで下がりました…。

 

 

80歳 スカジャン

昨年の夏、家族で出かけた北海道旅行で「スカジャン」デビュウを果たしました。

戦後、米兵の土産として横須賀市本町の「ドブ板通り」で生まれたといわれ、派手な刺しゅうを背中に施したのが特徴です。

子どものころから、店に飾られているのをみて格好いいと思っていました。

ただ、自分には派手すぎるので恥ずかしいと思い、着たことはありませんでした。

自分の年齢から最後の旅になると考え、「これが最後のチャンス」とばかりに購入し旅先で着用しました。

いざ着てみると何か誇らしい気持ちでした。

また、スカジャンを着てどこか旅に出かけたいと欲が出てきた。

 

僕も着ていました…青春時代!

鹿児島の実家に置いていて…弟が着たりしていたはず…どうなったか?

 

千歳神社

 

根拠ある情報

能登半島で最大震度7の地震があり、その後も余震が続いている。

この寒い季節になんてことが起きたのかと胸が痛む。

こんな時に、今回の津波の映像と称して東日本大震災の映像を流したり、「人工地震」だとを拡散したり、存在しない住所を書いて「助けてほしい」と偽の救助要請をしたりする人がいるという。

人として決して許されない行為だ‼

私たちは、常に根拠のある正しい情報を新聞などで知ることが大切だ。

 

何が言いたいのか…何が楽しいのか・・・それらを見る者も見る者…人ごとなのかな‼

寂しい国だ…近隣諸国の輩と同じだ。

 

 

すいとん  79歳女性

寒い日は、すいとんが食べたくなる。

モチモチして、子どもの頃から好きだった。

隙間風が入る寒い家で、母手作りの綿入りはんてんを着て、夕食に家族7人で熱々のすいとんを食べた。

汗が出るほど体が温まって寒さは気にならず、布団の中でもポカポカとして幸せな気持ちで眠れた。

だから寒くなると、母に「すいとんが食べたい」とお願いした。

すると母は決まって「変わった子だねぇ」と言うのだ。

農家生まれの母は戦前、白いご飯を毎日食べていたのだろう。

会社員の父と結婚し物資不足だった戦後、すいとんは母にとって、「粗末な食べ物」という意識だったのだ。

頼みもしないのに作っていたのは、お金がない月末だったのだろうと後で理解した。

中学生になったころから、食卓もだいぶ変わってきた。

麦飯から白いご飯になり、肉や魚が時々並んだ。

だが食事がよくなってからも、寒い時期には母のにすいとんを頼み、つくってもらった。

すいとんを食べると心も体も温まり、湯気の向こうでは誰もが笑っていた。

懐かしくなって冷蔵庫の中の食材で記憶をたどりながら作ってみたが、何かが違う。

やはり歴史の重みだろうか…「まだまだだな」。

天国から母の声が聞こえてきそうだ‼

 

 

父がいつも言っていた…釜から米を食べようと探したが…ほとんどさつまいもで、米はあまり見当たらなかった…と‼

「食いたいだけ腹いっぱい食え」口癖だった(笑)

今のこの生活に感謝、父母に「ありがとう」だ‼

 

千歳神社