明日、明後日この冬最大の…大雪、吹雪、気温…と言う!

僕の住む千歳は、氷点下17℃くらい極寒だけど、そんなに荒れないようだ・・・

春の訪れを待つ(V)

 

千葉修司「言葉相」
「生きて死ぬのか」 「それとも、死んで生きるのか」
人生には・・たった2通りの人生しかない・・。
(生きて生きて生き切って死ぬか、死んだように生きるか)…と言っています。



保険を考える…(一年前の記事)
どちらを選びますか?
入院したら     5000円    10000円    当然   10000円
死亡したら  1000000円  2000000円     当然 2000000円
保険料は      10000円    20000円     当然   10000円

例えばの一例ですが・・・
その当然と言われる保険があるのです。

何故か?
         通常の保険会社         WIS(ウイズ)株式会社
人件費    何万人という数          30人程度
建  物    全国に多数の支店・事務所  1か所
広告費    CM等あり                CM等なし


WISは、加入者本人が代理店となり…
家族が友達が同様の考えで加入すると権利収入となります…
そんな保険があるのです。

僕は友人の提供によりズームでセミナーに参加しています。

全国に担当者と言うか…展開しています。

今朝の朝陽


また来るね        60代女性
兄の家族と暮らす91歳の母を見舞うため、月に1度、実家を訪ねている。
母は数年前から認知症を患っている。
このまま症状が進めば、いつか記憶から私のことも消えてしまうのでは、と不安に思っている。

実家を訪ねたある日。
玄関に入ると「いらっしゃいませ」の声がした。
母は椅子に腰掛けて「受付嬢」をしていた。
義姉が私たちの来訪を告げており、日向ぼっこをしながら待ちわびていたらしい。
昔の母のように、ユーモアのある出迎えを受け、驚きと嬉しさでいっぱいになった。
「元気ですか」と問いかけると、柔和な声で「はい」と答える母。
沈んでいた気持ちも一気に和み、ほっとした。
今のところ食欲もあり、お風呂やトイレは自分でできる。
しかし会うたびに、同じ事を繰り返し話すのは仕方がない。

そんな時、私は初耳のふりをして、大げさなリアクションをして、おどけてみせる。

母の部屋に入ると、小柳ルミ子さんの「わたしの城下町」の歌詞がプリントされた日本手ぬぐいがあった。
思わず私が「格子戸をくぐりぬけ…」と歌い始めると、母も指でリズムを取りながら、一緒に歌った。
私は歌ううちに次第に涙声になり、少し音程が外れたけれど、最後まで歌った。

帰り際になると、さみしそうな母の顔を見るのが一層つらくなる。
「また来るね」と母の丸くなった背中をさすり、来月も温顔を見せてほしいと祈りつつ帰路についた。

 

母を偲ぶ
この方がやられていることを、僕もやりたかった…でも、出来なかった。
それは、自分勝手な思いであり、不甲斐なさに、いじけていただけ…
もっと素直に…生きていけばよかった。
北海道と鹿児島という距離はあったが…
「ふとんかぶれば…故郷が見える…見える故郷にゃ帰れない・・・俺は飛びたいもう一度」そんな思いだった。
 
母は、姿勢がよく声も動きもハツラツとしていた・・・そんな姿しか知らない。
70歳も80歳も変わらなかった…踊りを教え…羽振りのいい生活をしていた…

90歳が近づきストーブにかけてあった熱湯で火傷を負い…ドクターヘリで鹿児島の専門病院に運ばれた…
医者が「ものすごく生に対する気がある」 「凄い生命力」と姉に言ったそうである…
 
その後、介護を受ける状態になったが…電話で、元気な声を聞いていた。
「数の子をありがとう…」「メロン美味しかったよ…」 「なんか送ろうか…」と言っていた・・・

ベッドから落ちて骨折…入院
医者の訪問診察を受ける時、女の身だしなみとして薄化粧をしようとしてベッドから落ちたらしい…
そこから入院生活が始まった…(平成30年11月に帰省した。)

10代の僕の入学式、卒業式を覚えていた・・・・・
札幌で味噌ラーメンを食べたこと、美味しかったね…
静岡の温泉に入ったこと、大浴場の丸い形のホテルだったね…と
東京を歩いたこと…覚えていた…

皇居で写した写真は、僕が居間に置いている(青春時代、ラグビー時代である。)

毎日、見舞いと墓参りを繰り返したが、僕に言った…「どした、おじさんになったこっよ」 「どっか悪かとじゃなかか」…
「欲を言えば、後5年生きたい」…僕は「大丈夫だよ生きよう」と言った・・・


数々の炎症、風邪、肺炎等繰り返して…令和元年8月、姪っ子に手を握られ天国へ
僕は、煙になって天に昇る母に「ありがとう…ごめんね」を何回も言っていた。

今も思う…せめて2年、いや3年に一回でも帰省すればよかった。

 

 

「大阪しぐれ」♬しあわせそれとも今はふしあわせ♪