皆様、こんにちは

桜水現実(オースイうつつ)です

 

母が亡くなる前に

よく言っていたことがあります

 

☆______________

もうこれが

人生最後の〇〇かもしれないから

ちゃんと見ておこう

______________☆

 

そんな枕詞を付け始めた頃は

やはり加齢によって

体力が低下していたので

 

「そんなこと言わんでよ」と言いつつも

それが行動の原動力なんだなと

私はぼんやり思っていました

 

2020年の東京オリンピックに

なんとか行きたいねという提案は

彼女の目を輝かせましたが

コロナで延期になった

2021年を待たずして、

2019年に永眠しました

 

桜の季節になると

母の言葉を思い出します

 

最後の桜かもしれないから

 

最後の数年は

いつもそう言っていました

 

 

先日友人に赤ちゃんが生まれて

ふと思いました

 

あ~、この子にとっては

「最初の桜」なんだな…と

 

そう思ったら

私の「最初の桜」について

思いが巡りました

 

父と母がきっと

私を抱いて兄たちとともに

連れて行ってくれたはずです

 

あの川岸かもしれないし

あの山桜だったかもしれない

 

でもきっと

私は「最初の桜」を

記憶にはもちろんないけれど

体験したに違いありません

 

そう思ったら

心から熱い感謝が込み上げてきました

 

私の最初の桜は、

両親の記憶のどこかに

きっと残っているでしょう

 

人は美しいものを見る時

たぶん同じように感動し

同じように澄んだエネルギーが

心に注ぎ込まれるのだと思います

 

だから

 

私がこれから見る今年の桜は

きっと私の目を通して

その感動とエネルギーは

 

私の両親にも

そしてその先代の人たちにも

流れ込んでいくのではないかと

ふと思いました

 

 

言うまでもなく

美しいもののもつ波動は

私たちを一つの

共通の場所によび入れます

 

友人や仲間と共に見た美しい景色は

いつまでも心に残り

思い浮かべるだけで

輝くような時間が

体感として戻ってきます

 

だからそれはきっと

生きている私たちだけでなく

スピリットの世界でも

同じことだと思うのです

 

美しさは愛そのもの

愛はスピリットたちとの共通語です

 

だから私たちは

美しいものを見る時

美しいものを感じる時

きっと時間と空間が溶けあうような

特別な一つの場所で出会う

のかもしれません

 

だから

 

母が言っていたあの言葉は

決して「終わり」を悲観する言葉では

なかったのかもしれないと

 

今は思っています

 

この人生において

もっともっと多くの人たち

もっともっと多くのスピリットと

繋がっていたいという

 

希望に満ちた枕詞だったのかも

 

などと考えています

 

 

私が見た最初の桜は

どんなものだったのでしょう

 

この世に生まれてきたという

祝福に満ちた時間と空間で

 

心から安心できる人たちの

腕に抱かれて見た桜

 

若い夫婦だった両親が

私の顔や小さな手足を見て

 

健康と幸せだけを願い

祈ってくれていた時

 

目を閉じていると

 

なんとなく

本当にその瞬間を思い出せそうです

 

桜が満開になるまで

あと少しですね

 

どうか皆様も

素敵な時間を愛する方たちと

お過ごしください

 

 

U22 

 

こちらは今、

近所で満開のスモモです(笑)

 

 

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