皆様、こんにちは

 

アラン・コーエン認定

ホリスティックライフコーチ

桜水現実(オースイうつつ)です

 

 

新年になって

改めて蘇ってきた

ある友人の言葉があります

 

____________

 

好きなものが才能よ

____________

 

その人が好きだと思うものが

その人の才能なんだよ、と

 

 

これを聞いた時に

私は衝撃を受けました

 

好き=才能

 

だったら私にも

好きなものがあるから

才能だってあるのかもしれない

 

 

そう思えたのです

 

 

2023年になって

 

改めて「好き」を考えた時

 

自分が「文字」にずっと

魅せらてきたことに気が付きました

 

 

私は比較的早く文字を覚えました

 

母が「本が読めるように」と

何よりも先に文字を教えてくれたので

 

幼稚園に上がるころには

もう文字が読めましたし

本を読み始めていたので

漢字も少しずつ覚えていました

 

 

加えて

 

8歳年上と2歳年上の兄がいたのですが

 

 

その兄たちが

小学校で書かされていた日記に

興味を覚えて

幼稚園の頃から絵日記を書いていました

 

 

兄の日記がいつも

「今日は・・・」で始まっていたので

 

そうするもんだと思って

毎日「きょうは」で書き始め

その日の他愛ない記録を書いていましたが

 

 

ある時

本当に急に

 

窓から晴れた空を見ていた時

 

本当に急にせりあがる気持ちと共に

お花の絵を描いて

お日様を描いて

その下にこう書きました

 

 

______________

 

おひさまのひかりをあびて

はなはうたうよ

ラララ、ラララ

たのしいな

 

おひさまのひかりはまぶしいよ

 

まぶしさあびて

はなはうたうよ

ラララ、ラララ

うれしいな

______________

 

 

いつもと違うものを書いて

しまった!と思ったので

そのままそっとしまっておきました

 

ある日母が見つけて

 

目をきらきらさせて

 

こちらを振り返りました

 

そしてこう言いました

 

_____________

 

これはね

「詩(し)」っていうのよ

 

こういうのはね

とってもいいのよ

 

これからもかいてごらん

______________

 

 

その時の母の目の輝きと

なぜか嬉しそうな声

 

そして

 

優しくて明るい笑顔

 

今も覚えています

 

褒められたので

きっと嬉しかったのでしょうが

 

幼稚園のころのこの出来事を

 

こんなにしっかり覚えている

 

それは

 

私のなかで

大切で重要な記憶である証拠です

 

 

そして

 

認めてもらえたという

この記憶が

私の「好き」を

決定づけたのかもしれません

 

 

「好き」が

無意識のうちに

才能に変わった瞬間でした

 

 

ちょっと

振り返ってみてください

 

たぶん

あなたの「好き」を

認めてくれた人がいるはずです

 

意識しなくても

 

その「好き」を

才能に変えてくれた人がいるはずです

 

才能とは

 

何かの賞をとらなくても

何かの資格をもたなくても

誰かと比較するのでもなく

 

 

その人だけが

人生を楽しむために

もって生まれてきたものだと思います

 

 

英語では

「ギフト」というぐらいですから

 

 

今、こうしてブログを書いているのも

 

翻訳に携わらせてもらっているのも

 

休日に本を読んで

感動した時間を持てるのも

 

ドラマを観て

印象的なセリフに感動して

書き留めちゃうところも

 

きっと

 

あれが原点かもしれません

 

本当に感謝だな~

 

 

でもだからこそ

 

人が何かを表現した時

 

素直に感動を口にしたり

すごいね!と伝えることって

とても大切だと思うのです

 

 

それだけで

その人の才能を開花させます

 

そして

 

何よりも素晴らしいのは

 

無意識でも


その人に

人生の楽しみ方を

その種を植えつけます

 

 

皆さんには

そんな経験はありませんか

 

 

誰かに褒めてもらったり

誰かが感動してくれたり

 

それによって

 

自分の心のなかで

「好き」が才能に変わった瞬間は

 

ありませんか?

 

 

あなたは何が

何をすることが「好き」ですか?

 

 

 

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