皆様、こんにちは
アラン・コーエン認定
ホリスティックライフコーチ
桜水現実(オースイうつつ)です
いよいよ明日
アランさんが日本上陸なので
(ゴジラみたいですが…(笑))
ここ一週間ほど
久しぶりに
「あれやらなくっちゃ」みたいな
物理的な準備が目白押しでした
こういう時に
とっても大切なことは
焦るときほど
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立ち止まって
視線を今に戻す
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本当にそれに尽きるなと
思っています
こういう場合は、とか
安全対策を考える前に
物理的に
済ませなくてはならないことを
リストにしてみたら
案外思っていたよりも
少なかったりする
心の中で
目いっぱいに膨らむ
やるべきことは
ものすごく時間がかかるように
思えるけれど
実はやり始めたら
すぐに終わったりする
今、この時に
手をつけてやってみる
それはここ数年で
よくよく学びました
「あれをやらなきゃ」って
思っている時間が
心にかける負荷って
本当に重いんですよ
その「あれ」が
あんまりやりたくなくても
やらなくちゃいけないことだったら
なおさら
だから
最近思いついたら
すぐに手をつけることにしています
そうすると
今度は
あれもこれも手を付け始めて
逆に混乱することもあるので
そんな時は
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明日やれることは明日やる
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そんなありふれた言葉さえ
思い出してやっています(笑)
しかしこれが
なかなか効き目がある
アファメーションになります
そして
最終的には
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いろいろと起こっても
きっとうまくいくから
大丈夫
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そういう信頼の声を聴くことだなと
改めて感じました
よく田舎では
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命とられるわけじゃ
なかっじゃけん
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いいますが
よく言ったものだと思います
大切なものを
奪われるわけではないのです
☆
何か失敗すると
うしろめたさを感じるから
私たちは
いつも何かを奪われるような
気持ちに脅かされます
だからできる限り
失敗を避けたいと思います
人に迷惑をかけたら
物事がスムーズにいかなかったら
すぐそう思いますよね
私は人間って
特に悪いことが起こったら
自分のせいだと考える天才だと
常々思います
どこからでも
自分のせいだと思える原因を
探し回って引き出して
うしろめたさを感じようとします
でも「過ち」と「うしろめたさ」は
まったく切り離していいもので
「過ち」や「失敗」
イコール「罪」だと感じる思い込みが
私たちを苦しくさせています
人は完ぺきではないから、とか
失敗は成功のもと、とか
誰にでも過ちはある、とか
世間では言ってるくせに
実際に失敗すると
罪の意識が襲ってくるものです
でも
「ごめんなさい」と謝るのは
「過ちを認める」行為であって
許しのリクエストではありません
だからよく
子どもが「ごめんなさい」というと
親は「わかればいいの」と
優しく言います
「許さない!」なんて言い返すのは
ちょっと違うんじゃないかな?
ま、そう言う私も
思春期に父が間違えて
私の歯ブラシを使った時に
「許せない!」と言いました(笑)
「よかやんね。ごめんね。許して」と
へらへら笑い続けた父も父だよ、ったく
ま、それはさておき
それを裏付けるようにして
『奇跡のコース』では
神の世界にはそもそも罪はない
だからこそ
神は人を許さない
(許すことはできない)
と書かれています
何が言いたいかというと
この世の中
自分のせいだと思わなくていい
そんな物事がほとんどだと
そう言いたいのです
それは一見無責任に思えるけれど
結局、私たちは
そうして自分を許せるようになれば
私たちの周囲にも
その寛容な心を
つまづきもなく
当てはめることができます
人は自分で、自分は人
人にやさしくしたいと思ったら
まずは自分にやさしく
人を許せないと思うなら
まずは自分を許すことから
☆
へらへらしていた父親のことですが
あの時の彼のへらへら笑顔を
思いうかべるたびに
今、私も笑顔になります
そして心のなかで
笑いながら言います
汝をゆるす、と(笑)
今はとってもいい思い出です
「汝をゆるす」は
結局は
自分に向けた言葉なのですね
U22
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