皆様、こんにちは
 
アラン・コーエン認定
ホリスティックライフコーチ
桜水現実(オースイうつつ)です
 
 
数年前のことですが
 
 
お友達のお家にお泊まりに行き
小学生の息子さんと
仲良く遊んだ後
 
 
帰りがけに
駅の改札で泣かれました
 
 
それまで元気いっぱいだった
男の子が
 
 
急に俯いて
真っ赤な顔をして
涙をこらえながら
 
それでも
ぽろぽろ涙を流して
泣いてくれました
 
 
その時ぼんやりと
思い出したのですが
 
幼い頃
いとこたちが泊まりに来たり
 
ちょっと長めに遊んだ後
 
帰っていくときは
本当にこの世の終わりみたいに
悲しかったです
 
 
どうしてあんなに
心がちぎれるように
 
胸がつぶれるように
 
悲しかったのだろうと
不思議に思います
 
 
お互い無言で
ぽろぽろと泣きました
 
 
またすぐに会えるのに
 
歩いてはいけないけど
すぐ近くに住んでいるのに
 
そして
 
いったん帰ってしまえば
案外すぐに
けろりとしているのに(笑)
 
 
その時の
別れの瞬間は
本当に全力で悲しかったです
 
 
皆さんにも
きっと経験があると思います
 
 
大人の都合で連れてこられ
大人の都合で
用事が終われば引き裂かれる
 
 
無抵抗だったあの頃は
 
もしかしたら
 
もう次はないかもしれない
 
そんなことも
起こりうるのだと
 
実は
よく知っていたのかもしれない
 
 
そう思えるくらい
理由もなく悲しかったです
 
 
 
大人になって
 
自分で動けるようになると
自分の都合で
行き来ができるからか
 
 
そんな気持ちには
よほどのことがない限り
 
 
ならなくなりました
 
 
次に会えないことが起こり得るなんて
考えないのです
 
 
このままの状態で
なにもかわらず
ずっと続いていくんだと
 
それが前提で毎日が
進んでいきます
 
 
でも例えば
 
 
こんなコロナ禍の世になったり
身内が亡くなることが
多くなる年齢になると
 
 
またなぜか
あの頃の泣き顔が戻ってくるのです
 
 
人と人との出会いが
本当に愛おしく
別れ際がとてもつらくなります
 
 
相田みつをさんの
詩の中で大好きな一編があります
 
 
生まれたときは
まるはだか
死ぬときゃ
それも置いていく
 
 
 
人は一体
どこに向かって生きているのでしょう
 
 
子供のような
笑い方に戻っていく
母を見た時にも感じていました
 
 
人は一体
 
どこに向かっていくのでしょう
 
どこに戻っていくのでしょう
 
 
大人の都合で
会って別れていた
子供の頃には
 
 
もう少し一緒に居させてと
大人に頼めばよかったけれど
 
 
大人になってからは
誰に頼めばよいのでしょうね
 
 
 
一期一会という言葉があります
 
でも
 
「今」は一瞬の内に通り過ぎ
 
もう同じ場所には戻れないことを
 
私たちは普段は
完璧に忘れてしまっています
 
 
先日
アランさんのデイリーメルマガ
「目覚めの深呼吸」で
こんな言葉が送られてきました
 
 
永遠とは
一瞬の連続ではありません
常に共に在る一瞬が
永遠なのです
 
 
この言葉は
流されていくままに
呆然としてしまう私たちを
ぐっと引き戻し
 
 
時間にさえも
自分で主導権を
握っていくことの大切さを
 
教えてくれます
 
 
死ぬときゃ
それも置いていく
ボディがなくなっても
 
私たちは
常に共に在る一瞬があれば
永遠なのだと
 
教えてくれます
 
 
人が戻っていく先は
その永遠ではないかと思います
 
 
別れる時
あんなに辛かった子供の頃
 
明日はもう会えないかもしれないと
知っていたのではないかと
思えるほどに
悲しかったあの頃
 
だけど
 
きっと
その後けろりとしていたのは
 
また会えるから
 
ではなくて
 
一緒に遊んだ時間が
永遠に
 
いいえ
少なくともしばらくは
 
小さな体の内側に
留まり続けることを
感じていたからかもしれないと
 
 
なんとなくですが(笑)
思います
 
 
一期一会とは
 
そんな永遠の時を
 
美しく手に入れるための
言葉なのかもしれませんね
 

い・ち・ご
い・ち・え

とてもいい響きです
 
 
U22