もう少しだけ
どうして優しく出来なかったのだろうと
思う記憶がいくつかあります
例えば母親
気丈に一人で大丈夫と言う母親と
どうして一緒に居なかったのだろう
例えば父親
偶然会った地下街で
思春期の私は
どうして知らんぷりをしたのだろう
例えば友人
何か言いたげな顔をしたあの時に
どうして歩みを止めて
こちらから尋ねなかったのだろう
その都度その都度
ベストを尽くしていると
言ってくれる人が居ます
出来なかったことも含めて
精一杯やったのだと
そう書かれている本があります
でもそれは嘘だと
自分で思いたくなるほど
あーどうして
あーどうして
あの時一分一秒を急いでしまったのかと
自分で自分が嫌になることがあります
あそこで一分一秒を
急いだところで
何も変わらなかったはずだし
むしろこんな風に
自分が示し忘れた優しさを
思い出すこともなかったなと思うのです
人は皆少しだけ
そういう思いを持って生きています
どうきれいごとを言おうと
それは絶対にところどころあります
後悔と言う言葉は強すぎる時も
そこにあったはずの
他の選択肢を思ったことは
皆絶対にあるはずです
何時の時代に帰りたいか
そう聞かれたら
今が一番と思ったとしても
振り返る時に
自分がその時わかっていたはずのことを
やっていなかったことに気が付くと
すこしばかり後悔に似た感情を持ったり
あの時の別の道があったかもと思うのは
仕方のない事です
戻ってなんとかしようと思わなくても
それでも後悔に似た思いが
少しでもあることは
人間として当たり前のことです
ですが
こうも思います
一つの出来事を
私は私の人生の窓からしか
見ていかもしれないと
示されるべき優しさを
示し忘れてきたと
思ってしまう出来事が例えあっても
その時には相手が居て
相手には相手の人生や
相手には相手のペースがあること
それを忘れているかもしれないと
気丈にふるまった母も
年ごろの娘に気付かないふりをされた父も
上目遣いで見ていた友人も
皆、皆、自分の人生があるのです
私が起こしたその行為は
そこで終わらずに
それによって
彼らが得たものがあるのだと思います
哀しさとか寂しさも
もちろんあるだろうけれど
もしかしたら
強さや寛容さ
優しさや
やれやれ、みたいな笑い
そんなものも
逆に手に入れているかもしれません
だからある意味
私があの時そうしなかったことが
何か彼らの人生を壊してしまったと
そう思うことは
傲慢なのだと思うのです
私の行為は
そこまで彼らに影響力を与えない
影響力を与えられるほど
彼らは弱くもないんだ
くよくよしている私のほうが
よっぽど弱弱しいかも、と思います
彼らはそんなことは関係なく
少し傷付いたとしても
それに負けない生命力を持って
前へ前へと動く力をもっていた
それを信じることの方が
むしろ彼らを誇りに思う事であり
彼らを信頼していることかも
そう思っています
日本人が古くから使っている言葉を
そのまま使うと
お互い様
そんなありきたりの一語に尽きることは
すこしばかり不満ですが
本当にそうなのかもしれません
なんどか記憶の中に現れる
私にそんな感情をもたらす人達に
ごめんなさい
そう言いながら
手を合わせることがあります
過去は変えられないし
過去に戻りたいとも思わないけれど
私の未熟さのしわ寄せを
全部受け止めてもらったなと思います
お互い様
その言葉は本当に素晴らしいです
本当に人と人はお互い様です
過去のある一点で
全てを完結しようとすると
し忘れたことが
たくさん出てきたりしますが
実際には
その出来事は
それぞれの人生の中で
ちゃんと味を出し続けて
そののちのそれぞれの人生の経験に
深みを与えていくのでしょう
過去のある一点で
し忘れたことは
今すぐにでも出来るのだと思います
癒しは暗い部屋に
電気をぱっとつけるようなもの
一瞬で起こる
これはアランさんの言葉です
ありがとうの一言は
遅すぎることはありません
言いたい人はもうこの世にいない
そんな私みたいなケースも
写真に向かって
ありがとうと
口にするだけで
何か見えないエネルギーが
前向きに動き出すのを感じます
ごめんなさい
でもいいけれど
ちゃんと「ありがとう」を言う
それって
ごめんなさいとだけ言うより
大切だと思います
過去は取り返しがつかない
時々人はそう言って
過去の呪縛を自ら受けたりするけれど
私は今すぐにでも
「ありがとう」と言う言葉で
取り返せるような気がしています
かくして
優しさ示し忘れた
様々な過去のシーンが蘇るたびに
ありがとう
その一言を言うようにしています
そして
お互い様という事で、と
本当に美しい言葉です
ありがとう
U22
