おはようございます
アラン・コーエン認定
ホリスティックライフコーチ
桜水現実(オースイうつつ)です
昔、大学受験用のシリーズで
「傾向と対策」と言う旺文社から出ている
参考書がありました
傾向と対策
こんなに直接的なタイトル
なんと分かりやすい!
今思い返してもそう思います
ま、内容が分かりやすかったかどうかは
私の頭によるので
何とも言えません(笑)
半世紀以上自分と付き合っていると
あー、これ私の傾向だな
そう思う事に散々出くわすようになります
ちょっと気分を害すると
どーでもよくなってしまう傾向
ちょっと落ち込むと
この世の終わりになる傾向
ちょっと焦ると
足元が絡んで実際にコケる傾向
書いていて恥ずかしいぐらいに
私の「傾向」はあります
参考書の「傾向と対策」には
確か懇切丁寧に一つ一つの「傾向」への
対応策として「対策」が書かれてました
(ような気がします)が
私の「対策」はどうでしょう
特にネガティブと
一般的に言われる方向への
傾向がばーんと出てしまって
私の私自身への対策は?
そう問いかける時
浮かぶ言葉が二つあります
一つは「Forget it」
もう一つは「ま、いっかー」
一つ目は以前
「忘れなさい。」と言う題名で
ブログを書いたことがあります
ちょうど2年前の7月1日でした
二つ目の「ま、いっかー」は
小さな天才から教えてもらいました
ある男の子が
いろいろと遊びながら考えていて
かなり悩んだ後
あれー、わかんねぇや
ま、いっか
そう言って
そのおもちゃを投げ出したのです
わからないことを
わからないままにしておく
これってとても勇気が要ることです
そこから興味を失くす
これもとても勇気と努力が
必要に思えます
そのままにしておいた
試験問題は山のようにありますが
こと自分の感情においては
ネガティブな感情がわけばわくほど
どうしてどうして
そう突き詰めたくなるでしょう
どうして私ばっかり
どうしてこんなことが起こるのか
どうして私は
あの人にこんな目にあわされるのか
どうして私はこんなに苦しいのか
どうして私は嫌なのか
どうして
私はこんなに汚い感情をもつのか
考えれば考える程
落ち込んでいくし深みにはまります
よくスピリチュアルで
受け容れる
と言う言葉が使われますが
「ま、いっかー」は
それに似ているかもしれません
とにかく
理由はわからないけれど
そういうことである
と言うことです
おもちゃの謎を解く答えが
見つからないけど
それはそれでいいか、ということ
自分が無知だとか
自分が能力がないとか
おもちゃが分かりにく過ぎる、とか
おもちゃが複雑すぎる、とか
考えないことです
☆
スピリチュアルでは
もう一つ
許す
許可する
そういう言葉もよく使われます
自分を許す
と言う言葉もよく使いますよね
これはでもよく考えると
おかしなことだとも思うのです
奇跡のコースでは
「神は許すことはありません
何故なら最初から許されているからです」
と言うようなことが書いてあります
最初から罪などない
そういう意味です
なので
自分を許すとか相手を許すとか
そういう気持ちさえも
ちょっと力んだものなのかもしれません
よし!自分を許すんだ!
そう思うことは大切だけど
それは裏を返すと
「許されていないことをする」
と言う「後ろめたさと闘う」ってこと
ですから
ま、いっかー
なのです(笑)
「ま、いっかー」と言うと
力が抜けて
本当の意味で
どーでもよくなることが出来る
投げやりではなく
こういうこともあるよね、と
その物事や自分の感情から
ぐ~~~~~~んと遠のく
それが出来るような気がするのです
それでもそれでも
なんだか気になってしょうがない時には
一つ目を使いましょう
「Forget it」
そう言ってみるのです
☆
人生は自分の人生であり
時間は自分の時間です
だから自由に使っていいのだと思います
どんな形に落とし込んでも
それを誰かに証明をする必要はありません
∴(故に)これは二等辺三角形である
なーんていう必要はないのです
楽に生きましょう
こだわりを作っているのは
他でも自分自身であるのだと
気が付いたが勝ちです(笑)
何故なら多くの人は
ちょっと気分を害すると
どーでもよくなる傾向があると同時に
ちょっと良いことがあっただけで
これまた
どーでもよくなる傾向も持っています
複雑に見えてシンプル
シンプルに自分を扱ってあげましょう
U22

